「やっと自由だ」…定年退職を迎えた60歳夫の高揚感
浩二さん(仮名・60歳)は、大手メーカーを定年退職したばかりでした。
退職金は約2,300万円。住宅ローンも完済済みで、今後は65歳から夫婦合わせて月22万円ほどの年金受給を見込んでいました。
「ようやく肩の荷が下りた感じでした」
浩二さんは、長年仕事中心の生活を送ってきました。平日は深夜帰宅も多く、休日も接待ゴルフや出張が入ることが珍しくありませんでした。一方、妻の由紀子さん(仮名・58歳)は、結婚後に仕事を辞め、子育てと家事を担ってきました。
定年退職の日、浩二さんは花束を抱えて帰宅しました。
「これからは、二人で好きに暮らそう」
由紀子さんも笑顔でうなずきました。
退職祝いとして、夫婦は久しぶりに温泉旅行へ出かけます。
海の見える旅館。露天風呂。豪華な夕食。浩二さんは終始機嫌が良く、「今後は毎月どこか旅行しようか」と話していました。
「現役時代にできなかったことを、これから全部取り戻したいと思っていたんです」
しかし、その夜でした。部屋でお酒を飲みながら、浩二さんが何気なく言いました。
「これからは毎日一緒だな」
その瞬間、由紀子さんの表情が変わったといいます。
「……私、ずっとそれが怖かったの」
浩二さんは、一瞬意味が分かりませんでした。
「え?」
由紀子さんは静かに続けました。
「あなたが家にいることが、じゃないの。“これから全部、夫中心で生活が回るんじゃないか”と思うと……」
旅行から戻ったあとも、その言葉は浩二さんの頭から離れませんでした。
由紀子さんは、これまで長い間、夫に合わせて生活してきました。転勤のたびに仕事を辞め、子どもの学校や夫の生活リズムを優先してきたのです。
「私は、“夫が働きやすい家庭”を作ることばかり考えてきました」
しかし、子どもが独立したあと、由紀子さんは少しずつ自分の時間を持ち始めていました。
友人とのランチ、地域のボランティア、ヨガ教室。ようやく「自分の人生」を取り戻し始めた時期だったのです。
ところが、浩二さんは退職後、“夫婦は常に一緒に行動するもの”という感覚でいました。
「今日はどこ行く?」
「昼ご飯どうする?」
「一緒にスーパー行こう」
悪気はありません。しかし由紀子さんには、“再び自分の生活が夫中心に戻っていく感覚”が強かったといいます。
