「個人金融資産2000兆円」貯蓄の国・日本が失ってきたもの
日本は長いあいだ、「貯蓄の国」といわれてきました。まじめに働き、節約し、将来に備える。銀行の通帳に刻まれる数字が、一歩ずつ、確実に増えていくことに安らぎを覚え、それを美徳として語り継いできた社会です。
私自身も、信州の豊かな自然に囲まれ、地道に土を耕し、額に汗して働く人々を間近に見て育ちました。そうした堅実な価値観は、今も私の中に大切な背骨として残っています。
一方で、資産運用の現場に身を置き、30年近く仕事を続けてきた中で、私はある種の強い違和感を覚えるようになりました。私たちが長年、誇りとしてきた「個人金融資産2000兆円」という数字。それは、日本人の勤勉さの証であると同時に、世界経済のダイナミックな成長からあえて距離を取り続け、その果実を拒んできた「停滞の記録」でもあるのではないか。そう感じるようになったのです。
世界に目を向ければ、企業の成長が株価を通じて家計の資産に反映されることは、ごく自然な社会の循環として受け入れられています。資本主義がもたらす豊かさは、一部の資産家だけが独占するものではなく、広く一般の家庭の将来を支え、老後の安心や子どもたちの教育を支える「インフラ」として機能してきました。
しかし日本では、個人の努力は主に「労働」と「貯蓄」に向けられ、資本の成長はどこか遠い世界の出来事として扱われてきました。投資は不安定で、難しく、特別な人だけが行うもの――そんな認識が、長く社会に根づいていたのです。
本来であれば、世界経済が力強く成長する過程で生み出された膨大な付加価値は、日本の家庭をより潤し、次の世代への教育投資や、社会の新しい挑戦を支える資本へと循環していたはずです。最強のエンジンを積みながら、アクセルを踏まずに坂道を上ろうとしていた――そんな表現が頭をよぎるほど、私たちは巨大な機会を損失し続けてきたのかもしれません。
もっとも、この構造は今、静かに、しかし確実に変わり始めています。

