老後のため削り続けた日々…気づけば「使い方が分からない」
元会社員の森田さん(仮名・70歳)は、妻と二人暮らし。現役時代はメーカーの営業職として働き、定年後も数年間は再雇用で勤務しました。現在の金融資産は約5,000万円。住宅ローンは完済済みで、年金も夫婦で月23万円ほどあります。
「人から見れば、恵まれているほうだと思います。でも、自分ではずっと不安でした」
森田さんは若いころから節約家でした。外食は月に1度あるかないか。旅行も「退職してから行けばいい」と先送り。妻が「たまには温泉に行かない?」と誘っても、「今は貯める時期だから」と断ることが多かったといいます。
「子どもの教育費、住宅ローン、親の介護。次々にお金が出ていく時期がありましたから、使うことが怖くなっていたんです」
定年後も、その感覚は変わりませんでした。スーパーでは値引き品を選び、エアコンもなるべく使わない。服も十年以上前のものを着続けました。
総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の夫婦のみ無職世帯の平均可処分所得は月22万1,544円、消費支出は月26万3,979円で、平均では毎月赤字となっています。老後に貯蓄の取り崩しが必要になる世帯は珍しくありません。
森田さんも、こうした数字を見るたびに不安を強めていました。
「やっぱり使ったら減るんだ、と思ってしまって。5,000万円あっても、安心できなかったんです」
ところが、その考えを揺さぶる出来事が起きます。学生時代の友人が、旅行先で突然倒れたという知らせでした。命は助かったものの、長距離移動は難しくなったといいます。
「その友人が言ったんです。『行けるうちに行けばよかった』って。その言葉が、妙に刺さりました」
森田さんが後悔を強く感じたのは、妻の足腰が弱り始めてからでした。
以前は旅行好きだった妻も、最近は長時間歩くと膝が痛むようになりました。森田さんが「今度、京都でも行くか」と声をかけても、妻は少し笑ってこう答えたといいます。
「行きたいけど、昔みたいには歩けないかもね」
その瞬間、森田さんは胸が詰まったといいます。
「お金は残っている。でも、元気に出かけられる時間は残っていなかったのかもしれないと思いました」
