希少性を価値に変えるか、自ら価値を作るかが重要
例えば東京都中央区銀座の土地を押さえた場合を想像してみましょう。そこであなたは周辺を見て思うことでしょう。
「いつでも好きなときに好きな価格で売却できる」と。めったにないから、それには価値があるのです。
JR新橋駅から銀座方向に拡がる土地を想像すると古いものを壊さない限りは新たな更地などありません。つまりあなたが希少性を価値に変えるか、自ら価値を作り出すかの二通りしかないのです。
ほとんど手に入ることのない希少な銀座の土地をあなたは売り渡し、残ったのは数億円の利益です。この利益は必要であったわけではなく、自分がつけた価格で売却することが目的となっていたので満足すべき結果です。
資産ができたとしても日本の今後を考えると・・・
このような論法で話を進めていくと、一方では日本という国のあり方を論じる必要が生じます。現時点で5億円ほどの資産が所有できたとします。富裕層に一歩足を踏み入れたと言っていいでしょう。しかし、日本の日本的社会性、いわゆるサービス精神やモノの価格、労働賃金は毎年、下降しています。
日本は世界でまだ第3位に君臨しているからといって、今後もこれが続くと思っている人はいないでしょう。新興国に追いつかれてしまうのは時間の問題。日本人がいるから日本という国は立派なのであり、このまますばらしい精神性を維持できる可能性は、ほとんどないと思います。
悲しい現実ですが悪貨は良貨を駆逐するのです。
資産家となった暁にもやはり、この日本の豊かな精神性の行き届いた日本という国がある間はストレスもないかも知れませんが、それがもし消失してしまった場合、今の貧弱な資産内容では不安感が拭えないことがお分かりになるでしょう。