「母は一人で大丈夫なはずだった」
「母はしっかりしている人だから、大丈夫だと思っていました」
そう振り返るのは、都内で働く会社員の健一さん(仮名・52歳)。母・節子さん(仮名・79歳)は、長年専業主婦として家庭を支え、夫を見送り、現在は地方の団地で一人暮らしをしていました。
節子さんの収入は、自身の年金と夫の遺族年金を合わせて月10万円ほど。決して多い額ではありませんが、健一さんはそこまで不安を感じていませんでした。理由は、母がいつもこう言っていたからです。
「お父さんが残してくれたお金もあるからね。そんなに使うこともないし、大丈夫よ。あなたは自分の家族のことだけ考えて」
実のところ、健一さんは母の貯蓄額を具体的に聞いたことはありませんでした。親のお金の話に踏み込むことに、どこかためらいがあったからです。
しかし、その「大丈夫」は、無理の上に成り立っていました。
支出を抑えるための「極限生活」
団地の家賃は4万円。残るお金で生活を回すため、節子さんは支出を極限まで削っていきました。かつて通っていた体操教室はやめ、外出もほとんどしない。食事は1日2回、質素な自炊が中心に。冷房も極力使わない生活を続けていました。
そんななかでも、健一さんが電話をすると、母はいつも明るく答えていました。
「元気にしてるよ。何も心配いらないから、大丈夫」
帰省したときも、特に困っている様子は見せません。むしろ「無駄遣いしてないから安心でしょ」と笑っていたほどでした。その言葉を、健一さんはそのまま受け取っていました。
健一さんは、母の一人暮らしを心配し、数年前から“見守り機能付きの電気ポット”を実家に置いていました。お湯を使うと、スマートフォンに通知が届く仕組みです。ある日、その通知がまったく届いていないことに気づきます。
「あれ……今日は一度も使ってない?」
これまで毎日何度か反応があったはずのポット。さすがにおかしいと思い、電話をかけましたが、つながりません。胸騒ぎを覚え、健一さんは急いで実家へ向かいます。そこで目にしたのは、居間で倒れている母の姿でした。
すぐに救急搬送され、診断は脳梗塞。命は取り留めましたが、右半身に軽い麻痺が残りました。医師からは、栄養不足や脱水、そして暑さによる負担が重なった可能性があると説明を受けます。
入院中、節子さんは小さな声でこう言いました。
「迷惑をかけないようにって、ずっと我慢してたのに……結局、こんなことになっちゃったね」
そして、ぽつりと続けます。
「お金はね、減るのが怖くて……なるべく使わないようにしてたの」
その言葉を聞いたとき、健一さんはようやく気づきました。母の「大丈夫」は、自分に負担をかけまいとした気遣いだったのだと。
