引っ越し前夜、父が見せた笑顔
施設入居が正式に決まり、引っ越しの前夜。由美さんは父の家で荷物をまとめていました。
古いアルバムや使い込まれた湯のみ、母が残した裁縫箱。ひとつ片づけるたびに、父がこの家で重ねてきた年月が浮かび、胸が詰まりました。
「お父さん、ごめんね。本当は家にいさせてあげたかった」
そう口にすると、正夫さんは少し驚いた顔をしたあと、やわらかく笑ったといいます。
「何を謝るんだ。お前がいなかったら、ここまで来られなかったよ」
その言葉に、由美さんは涙が止まらなくなりました。
「父は、私が追い出したなんて思っていなかったんです。むしろ、ずっと支えてくれたことに感謝してくれていた。その優しい笑顔を見たら、余計につらくなってしまって」
施設入居は、親を見捨てる選択ではありません。むしろ、家族だけで抱え込まないための現実的な判断です。とはいえ、感情が簡単に整理できるわけではありません。
由美さんは今も、月に何度か父を訪ねています。最初は表情の硬かった父も、職員やほかの入居者との暮らしに少しずつ慣れ、今では食事や入浴のリズムも安定してきたといいます。
「家にいた頃より、顔色はいいんです。それでも、あの家を離れさせたのは私だ、という気持ちはどこかに残っています」
老いた親の暮らしをどう支えるか。その答えは一つではありません。ただ、無理を重ねて共倒れになる前に、外部の支援につなぐことは、家族にとっても親にとっても大切な選択です。
「父の笑顔に救われました。でも、あの夜に流した涙は、たぶん一生忘れないと思います」
親のために選んだはずの決断なのに、なぜこんなにも胸が痛むのか。その答えはきっと、親を思う気持ちが本物だったからこそなのでしょう。
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