わずか半年で届き始めた「督促状」の正体
移住して数ヵ月、妻の和子さんが膝を痛めて外出が困難になり、さらに健一さんも不慣れな道での運転ミスからハンドルを握ることが怖くなってしまった。足(車)を失ったことで、夫婦の生活動線が一気に崩れていく。
地方は近所付き合いが濃いと思われがちだが、新興の分譲地や過疎化が進むエリアでは、その地縁も形骸化している。佐藤さんの周囲も、隣家とは距離があり、高齢の住人同士が互いの異変に干渉し合わない「緩やかな孤立」状態にあった。
一人娘の絵里さん(35歳)が半年ぶりに訪ねた実家で目にしたのは、赤や黄色の封筒が混じる未開封の山だった。
「お父さん、これ水道の“給水停止予告”だよ! 電気だって、このままだと今週末に止まっちゃう……」
絵里さんの悲鳴のような声に、健一さんは力なく首を振った。
かつては整然と家計を管理していたはずの父を蝕んでいたのは、資産の欠如ではなく「手続きという負荷」への完全な拒絶反応だった。 ライフラインが止まれば死に直結する。その恐怖よりも、外に出て、慣れない窓口で頭を下げ、滞納分を精算するという「社会的なハードル」の方が、今の彼らには高すぎたのだ。
水道や電気が止まる寸前まで追い詰められても、なお体が動かない。 地方のインフラの不便さが、単なる「面倒」を超えて、高齢者の生存権を脅かす最後の引き金になろうとしていた。
「消費」という意欲が消え、停滞する家
かつては当たり前だった、近所の店での立ち話や、電車に乗るための身支度。そうした「他人の目」を意識した行動が、地方の孤立した家では消失してしまっていた。
キッチンには、いつ購入したのかも分からない惣菜のパックが放置されていた。夫婦を襲ったのは、誰に見られることもない場所で、「自分たちの生活など、どうでもいい」と感じ始めるセルフネグレクトなのだろうか。
社会との交流が失くなったことで、公共料金を支払う、腐ったものを捨てるといった「当たり前の判断力」をも失っていく。最低限の食料はネットで頼めてしまう。餓死はしないものの、人間らしい規律だけが確実に腐食していった。
