過去数十年間、あまり関心のなかった国だが・・・
昨年のアメリカに続き、本年もライオンズクラブの国際大会に出席した。開催場所はオーストラリアのシドニーである。
オーストラリア(豪州)については、過去数十年、関心があまりなかった。二十代の頃に見た、モノクロ映画で「オーバーランダーズ」という西部劇まがいの威勢のよい大陸横断劇と、「渚にて」という北半球が核戦争で壊滅し、豪州だけが先進国として生き残る虚しさを描いた現代的テーマの問題作などが豪州映画として、うっすらと残っている。最近では「シャイン」という、たしか心の病を持つピアニストのカラー映画を観た。
オーストラリアについて述べるには、この地の歴史や政治を書くべきだが、ここは未だ総督が君臨するイギリス連邦の一員である。これまで私の紀行文で取り上げてきた地はすべて独立国家なので植民地は前例がなく、歴史政治の説明は、部分的に必要なところだけにして、原則として省略する。
豪州への先入観としては、
一・ 南半球である(二十年前のジャワ、バリ島旅行以来)。だから南十字星が見える。太陽が北を通る。
二・ 欧米と違い時差がなく時差ボケがなく、旅が楽だろう。ただしこちらは梅雨、向こうは初冬である。
三・ 日本の食料自給率は五〇パーセントに満たないので万一の場合が心配されるが、豪州は逆に二〇〇パーセント以上という世界一の食料輸出率であり、住民は食べ放題、豊かで平和で極楽のような大陸だろうと推察されて楽しみである。
というものであった。今回の国際大会は私の属する名城クラブから輩出したガバナーの任期終了の引渡を、主席別格として幹事の竹田君、会計の原君夫妻と応援団の私たち夫婦の五人が終始同行した。
成田を二〇一〇年六月二十七日二十時三十分にカンタス航空QF22が出発して、寝ている間に赤道を越えて、つつがなく翌朝八時にシドニー空港に着陸した。降り立ったら五度と少し寒いが爽やかな薄曇り。
映画で見た景色そのままの、美しいシドニーの港
バスで北へ一〇キロメートル行ったところにあるシドニー都心部へ出発である。道路は日本やイギリス本国と同じ左側通行である。車は右ハンドルだから日本人でも楽にドライブができる。左右はユーカリの樹林が多い。この木は七百種ありクスノキと同種の常緑樹である。油分が多くこれで繊維の汚れを落とすのだ。ヤシも見られ、ブーゲンビリアもある。
南半球なので水の渦が左巻きとのこと。太陽が東から登るのは北と同じなのは当然。
家の構造はレンガで、赤い屋根も多い。両側にはゴルフ場が連なり、シドニー付近全体で五百コースはあるというのもイギリス人好みだ。やがて中高層のアパート街になる。
アンザック通りを越え東方へ行くと、右側にセンチュラル公園が見え、黒いスワンがいた。豪邸が並び、サザンカやツバキなど冬の兆しを感じた海の気配がしたと思えば、シドニー東郊のボンダイ・ビーチの限りなく透明なブルーが広がっていた。
南国的なボンダイ湾はタスマン海に面し、サーフィンを若者が楽しむ白い波頭。昔見たような爽快な風景を見た。そうだ「渚にて」だ。あの映画で使われ一躍有名になり豪州の第二の国歌と言われた勇壮な「ワルツィング・マチルダ」のメロディが聴こえて来そうな風景なのだ。
バスで西へ進み一気に高層ビルの都心部を通りぬけ、シドニーハーバーに面して「総督婦人の椅子」の名の岬に着いた。ここからは有名なオペラハウスと、巨大な世界第二の径間(一一四九メートル)を誇る鉄骨アーチ橋ハーバーブリッジを一枚の写真に収められる。この壮大な入江にも夏を思わせる風が光り、美港の語が判る。
土産店に寄って、豪州原住民の手作りのブーメランを買った。
ハイドパークの西隣にあるシェラトンホテルの十二階に荷を下ろした。
夕食はダーリングハーバーの灯が水面にきらめく席で、有名なオージービーフ(アンガス牛のステーキ)を早速賞味するという嬉しいことになった。厚い大きな肉にナイフを入れるとジュッと柔らかく、味も豪快。