【事例】亡き父親の相続人は、恐ろしく不仲な長男・二男だけ
都内のある家族の事例です。父親である高齢のA氏が亡くなりました。相続人はA氏の長男B氏と二男C氏の2人です。長男B氏は父親であるA氏と同居し、父親の死後もその家に住み続けています。一方のC氏は実家を出ていますが、この2人は父親の生前から大変折り合いが悪く、感情的な対立が続いていました。
案の定、相続が始まっても遺産分割の話し合いは一向に進みません。
長男B「自分が父の面倒を見てきた。だから実家に住み続けるのは当然だ」
二男C「それなら代償金を払え。払えないなら家を売却するべきだ」
協議が成立しないまま1年、2年…と、時間だけが過ぎていきました。
法定相続分どおりであれば…相続登記の「重要ルール」
実は、相続登記には重要なルールがあります。相続登記は、法定相続分どおりであれば、相続人のうち1人だけで申請できるのです。つまり、長男B氏が承諾しなくても、二男C氏は法定相続分(今回なら1/2)で勝手に登記を済ませることができます。
「遺産分割がまとまらないなら、法定相続分の登記だけ先にすませてしまえ!」
C氏はその制度を利用。こうして、不動産はB氏とC氏の共有名義(各1/2)になってしまったのです。
これは法律上まったく問題のない行為。しかしその後、「とんでもない問題」を招くことになります。
二男C氏、「自分の持分だけ」不動産業者へ売却
共有不動産には、もうひとつ大きな落とし穴があります。共有者は、自分の持分だけを、ほかの共有者の承諾を得ることなく、第三者へ自由に売却できるのです。
つまり、二男C氏は次のような行動が可能です。
●不動産全体を売る権利はないが、自分の持つ1/2の持分は売却できる
C氏は、自らの持分を共有持分買取を専門とするいわゆる「買取業者」へ売却してしまいました。
その結果、登記簿は次のように変わります。
長男B:1/2
業者:1/2
B氏が住み続けていた実家が、見ず知らずの業者との共有不動産に変わってしまったのです。
持分を買い取った業者が「共有物分割請求」を提起した結果…
共有不動産のもうひとつの特徴として「共有者はいつでも共有物分割請求ができる(民法256条)」というものがあります。
C氏から持分を買い取った業者は、B氏に対して次のように行動します。
業者「Bさん、あなたの1/2を買い取りますよ。嫌なら私の持分を買い取ってください」
拒否すれば、業者は裁判で共有物分割請求を行い、裁判所は最終的に「競売」「売却して代金を按分」という結論になります。しかし、B氏には手持ち資金がありません。
結果、B氏はこうなりました。
●泣く泣く実家を手放す
●業者と売却代金を按分
●長年住んでいた家を退去せざるを得ない
相続を放置していただけなのに、最後は「見知らぬ業者による共有物分割」で実家を失うという、最悪の結末です。
遺言書があれば防げた…とも言い切れないワケ
よく「遺言書があればこんな事態は防げたのでは?」という質問を受けますが、「遺言書は役立つけれども、登記は“早い者勝ち”の世界なので、完全には防げない」というのが結論です。
遺言書がなかった場合、今回のような、
「法定相続分」で勝手に登記 → 勝手に持分売却 → 共有物分割
という流れを止める手段はほぼありません。
遺言書があった場合でも、たとえば、父親のA氏が「自宅はすべて長男Bに相続させる」と書いていたとします。しかし、遺言執行者の選任や手続きが遅れてしまい、二男C氏が先に「法定相続分で登記」をして業者に売却してしまうと、遺言があっても一度行われた登記は覆せなくなってしまいます。
つまり、「遺言があるから大丈夫」と安心して何もしないと、今回と同じ結末になるリスクがあるということです。
真の問題は「遺言の有無」ではなく、「相続の放置」にある
今回のケースを引き起こした本質的な原因は、下記の2つです。
①遺産分割協議を始めなかった(またはまとまらなかった)
②相続登記を放置したまま時間が経ってしまった
この2つの要素が揃うと、「法定相続分で勝手に登記→買取業者への売却→共有物分割請求」という最悪の流れに一直線で進んでしまいます。
とくに、
●相続人同士の不仲
●片方が遠方
●認知症リスク
●代償金を払えない
●不動産だけが主な財産
といった問題があり、話がまとまりにくい家庭ほど、このような流れ・着地になるリスクが高い、というのが実情です。
相続は「争いが起きてから」では手遅れになる
今回の例のような、相続の放置で「いつの間にか見知らぬ不動産業者と共有名義」となり、最終的に不本意な形で売却を余儀なくされる悲劇は、珍しいものではないということを、強調しておきたいと思います。
近年では「持分買取業者」の参入も増え、共有不動産の問題は相続トラブルの定番となりつつあります。これを防ぐには、
●遺言書の作成(できれば公正証書遺言)
●遺言執行者の指定
●相続登記は速やかに申請する
といった対策が必要不可欠です。
せっかく遺言書を準備しても、相続発生後に何も行動しなければ意味がありません。遺産分割がまとまらないからといって放置すれば、ここで紹介したケースのような、取り返しのつかない結末に追い込まれることもあるのです。
相続は「感情」の問題が大きい…だから、事前対策が重要
相続は財産の問題だけではなく、家族の感情・関係性が大きく影響します。
「兄弟仲が悪い」
「話し合いが進まない」
「お金のことは後回し」
こんな状態のまま放置すると、法律の仕組み上、弱い立場の人ほど不利益を被ることになります。今回の事例はその典型です。
相続は「そのうちやろう」と後回しにした瞬間から、リスクが発生します。家族が揉める前に、本人が元気なうちに、遺言・家族信託・死後事務委任などの対策を講じましょう。
それこそが、家族を守る最も確実で実務的な「相続対策」なのです。
佐伯 知哉
司法書士法人さえき事務所 所長
