ついに手に入れた自由の日々
何歳まで働くのか――。 朝は早く、夜は遅く。満員電車に揺られ、上司と部下の板挟みになりながら、気づけば一日が終わる。そんな生活に「もう十分だ」と感じたことがある人も多いのではないでしょうか。
Aさんもその一人でした。都内中小企業で管理職を務め、年収は1,000万円に迫るほど。家庭にも恵まれ、いわば順風満帆でしたが、本人の心は満たされていませんでした。
「もともと会社員に向いている性格じゃないと思っていたんです。でも、大学まで出してもらったし、家族もできたから働いていました。でも、年々働くために生きる人生は嫌だという気持ちが強くなっていって。マネージャーをやって精神的にもすり減っていましたし、とにかく辞めたくてしかたありませんでした」
自由になるためにはお金が必要だということは、早くから認識していたというAさん。社会人になってすぐに投資を始め、親の相続なども重なって資産は1億円に到達。42歳のときでした。
そして、これだけあれば家族も困らないと確信し、とうとう早期退職(FIRE)を実現したのです。
「できる主夫」になるはずが、あっという間に崩れていった生活
妻は「私は家族だけの生活より、働いて社会に接していたい」とパートを継続。そのためAさんは「僕が主夫をやるよ」と宣言。朝食も夕食も家族の分を作り、洗濯や掃除をして、9歳の娘の習い事の送り迎え、宿題の面倒まで見るつもりでした。
しかし、意気揚々と宣言したのもむなしく、そんな生活はわずかな期間で終わってしまったのです。
「最初のうちはよかったんです。でも、何の制約もない中で、本来の僕のだらしなさが出てきてしまった。だんだん朝起きられなくなって、昼まで寝てしまう。髭もそらず、部屋着のままパソコンで株取引をする。一歩も外に出ず1日を過ごす日も増えてしまって……」
働いていた頃は、身だしなみや時間管理を自然に意識できていましたが、職場という外の目がなくなり、生活リズムはあっという間に崩れていったのです。
「仕事がないと日常に張り合いがない。人と会うのも家族だけ。最初は気楽だと思っていたけど、だんだん自分が小さくなっていくような感覚でした。これじゃ駄目だと思っていたときに、娘からのひと言はきつかったです」
そのひと言が、Aさんにある決断をさせることになります。
