「え、父さんがいない?」職員からの電話
「佐野さん、申し訳ありません。お父さまが外に出られてしまったようで…」
都内の介護付き有料老人ホームに父・勝彦さん(仮名・83歳)を預けていた佐野誠さん(仮名・54歳)は、その日、仕事中に施設からの着信を受けました。職員の声は平静を装っていましたが、内容は明らかに緊急でした。
「外に出た? どこに?」「今、職員が周囲を捜索しておりますが…」
居ても立ってもいられず、誠さんは車で現地へ向かいました。
30分後。父・勝彦さんは施設から2キロほど離れた商店街の一角で発見されました。といっても、道端でうずくまっていたわけではありません。
「父さん、ここにいたの?」
誠さんの問いに、勝彦さんはまっすぐ答えました。
「預金を確認しに来たんだよ。年金だけで足りるか、どうしても知りたくて」
そこは、勝彦さんが長年使ってきた地方銀行の店舗前。施設に入居する前、毎月年金の振込確認をしに通っていた場所でした。
施設に戻ったあと、職員の立ち合いで父の部屋を確認すると、ノートの切れ端にびっしりと数字が書き込まれていました。
「年金月14.6万円、施設費22万円、差額▲7.4万円、仕送り月5万円、貯金残り…」
まるで“家計簿”のようなメモ。小さな電卓と、残高確認の明細が並んで置かれていました。
誠さんは絶句しました。父はすべて把握していたのです。
「だから、施設を抜けてまで“現金がまだ残っているか”を確認しに行ったんだとわかりました。あの人なりの“危機感”だったんだと思います」
