夫と死別後、1人で息子を育て上げた苦労の日々
「同居なんてするんじゃなかったかな……」
家計簿を見つめながら、鈴木美津子さん(仮名・73歳)は小さくつぶやきました。
美津子さんは24歳で結婚したものの、33歳で夫を亡くし、その後は一人で息子を育てました。夫は自営業だったため、遺族年金の支給は子どもが18歳になるまで。そのため、職を探し、小さな印刷会社で60歳まで勤め上げました。
「女1人で働きながら息子を育て、希望どおり大学まで卒業させてあげられた。自分でいうのもなんですが、頑張ったと思います」と美津子さん。
大学を卒業後、息子は無事に独り立ちし、美津子さんは一人暮らしに。60歳で退職後も5年間は近所の飲食店でパート勤務。65歳からは年金で暮らす生活になりました。
年金は月12万円ほど。亡き夫が残してくれた家に住み、食費は月2~3万円。光熱費は1万円。雑費を含めて年金に収まるように。突発的な出費があったときだけ、貯金を少しずつ切り崩していました。
慎ましくも、静かな老後――。この生活が続いていくはずでした。ところが、美津子さんの元に、思わぬ連絡がきたのです。
息子からの「まさかの知らせ」→同居を決断
「母さん、そっちの家で同居させてもらえないかな」
息子・雄一さん(47歳)からの1本の電話。それは、雄一さんと妻の幸子さん(45歳)、子どもの剛くん(17歳)の3人で、美津子さんが住む家に同居できないかという連絡でした。突然のことに驚くと、雄一さんは事情を話し始めました。
勤めていた中小企業の経営が悪化し、退職を余儀なくされたこと。すぐに次の職場を探し始めたものの、希望する就職先が見つからず鬱状態に。仕事を探すどころではなくなってしまったとのこと。
剛くんは大学進学を控え、教育費にはまだまだお金がかかる時期です。雀の涙ほどの退職金と給付期限のある失業給付だけでは生活できません。幸子さんもスーパーでパートを始めたものの、生活費をまかなうには到底足りません。貯めていた貯蓄も底をつく状態になり、追い詰められた雄一さんは母の美津子さんを頼り、電話をしてきたのです。
「何もお金を貸してくれっていうことじゃない。母さんも一人暮らしは不安な年齢だし、家族バラバラで暮らすより、一緒に暮らして、家計も生活も助け合っていけないかな」
雄一さん一家は当時アパート住まい。美津子さんの家に移り住めば、家賃の負担が減ります。美津子さんの年金は毎月約12万円、それに幸子さんのパート代が約10万円。2人合わせても余裕がある収入とはいえませんが、美津子さんは同居に踏み切ったといいます。
「息子や孫の助けになるならと思って。それに、部屋は余っていましたから。でも『私が負担するのは食費と光熱費で、それ以外の孫の学費なんかはそっちでなんとかしてね』と条件はつけました。それでうまくいけばよかったのですが……」
