「やっと一人前になってくれた」涙の乾杯から1年半
「お父さん、内定出たよ。一部上場の会社。第一志望だったとこ」
2023年春。会社員の斉藤真一さん(仮名・55歳)は、娘・彩乃さん(仮名・22歳)の電話に思わず声を上げて喜びました。就職氷河期の世代として苦労してきた自分とは違い、娘はしっかりと努力を重ね、誰もが知る大手メーカーに正社員として採用されたのです。
家族でささやかな乾杯をした夜、彩乃さんはこう言いました。
「親孝行、できたかな」
その言葉に、真一さんは涙がこぼれそうになったといいます。
「この子の将来はもう安心だ」
心から、そう思っていました。
ところが、入社からわずか1年半後のこと。平日の夜遅く、斉藤さんのもとに一本の電話がかかってきました。
「お父さん、話があるんだけど…」
少し沈んだ声のあと、彩乃さんはこう続けました。
「実はさ、会社、辞めようと思ってるんだ」
一瞬、耳を疑った斉藤さん。理由を聞くと、「大学のときにお世話になった先輩が起業して、そこに誘われた」といいます。社員数十人ほどの、まだ名も知られていないIT系スタートアップ。給料は下がる。福利厚生も整っていない。けれど「やりたいことがそこにある」と。
「正直、凍りつきました。親としては、せっかく入った大企業を1年半で辞めるなんて、無謀にしか思えなかったんです」
斉藤さんは、娘が中学受験をする頃から「教育費」にすべてを注いできました。高校も私立、大学も4年間で700万円超の費用を支えたといいます。
「だからこそ、大手に入ったって聞いたときは、これまでの努力が報われたと思ったんです。なのに、安定を捨てるだなんて……理解が追いつきませんでした」
ただ、彩乃さんの決意は固く、「今の会社も悪くないけど、10年後を考えたときに、今しか飛び込めない場所がある気がする」と話します。
