“ダメ男”の烙印(1999年・26歳)
「え、その歳で貯金もないの?」 時は1999年、女友だちと居酒屋で飲んでいた私は、いきなりダメ男の烙印を押された。
当時26歳の私は、就職氷河期世代。数百件の資料請求と数十件の面談を経て、ようやく滑り込んだIT系企業で働く入社4年目の営業職だった。とにかく就職できたことがうれしく、がむしゃらに働いていたと言っていい。初赴任の北陸勤務を経て本社へ異動し、大きな仕事を扱い始めていた。仕事が楽しく、上司の無茶なオーダーにも勢いと残業で応えながら、なんとか認められ、昇進したいと願っていた。
仕事と遊びと飲み会のことしか頭になかった。茶髪の女友だちは病院で働く理学療法士で、合コンの幹事もよく引き受けてくれる頼れる存在だった。私も勤務先のIT企業の野郎どもを連れて、すでに2度ほど合コンをセッティングしていた(なお、戦果なし)。今夜の飲み会も次回の作戦会議のようなものだった。
彼女は病院での仕事について、高齢の患者さんから厳しい言葉をかけられたり、時には思いがけない行動をとられたりすることもあると話していた。想像もできない世界の話で、私はただ「うんうん」と聞くだけだった。
「たくさんの老人を見ているとね、人間、最期に必要なのは優しい家族か、それがなければお金だよ」
「そんなもんかね?」
「そうだよ。家族との関係が希薄な患者さんは、十分なサポートを受けられないこともある。経済的な余裕があれば、より手厚いケアを受けられる施設に入ることもできる」
「老人ホームか、想像つかないな」
「老人ホームに入るのにいくらくらいかかるか知ってる?」
「知らない。100万円くらい?」
「入居に1,000万円くらいかかるところもあるし、それとは別に毎月十数万円も必要だよ」
「うそだろ。そんなお金ないよ」
「ピンキリだけど、水瀬、どのくらい貯金あるの?」
「ない」
「は?」
それで、冒頭のダメ男の烙印である。無理もない。私はがむしゃらに働く一方で、給料のほとんどをスノーボード、キャンプ、バス・フィッシング、そして飲み会に費やしていた。さらに車のローンも残っている。初めて買った車をたった1カ月で自損事故&廃車にしてしまい(このとき私は一度死んだようなものだ)、26歳にして車2台分のカーローンを抱えていた。北陸から東京へ引っ越してからは、飲食費や家賃、駐車場代が高く、ますます貯金とは無縁だった。
でも、周りのみんなも自分と同じようなものだと思っていた。会社の同期や友人たちと、お金の話をするのは飲み会の割り勘のときくらいで、貯金について話したことはなかった。もしかして、みんな意外と貯金しているのだろうか?
自宅に戻り、黎明期のネットでおそるおそる「26歳 平均貯蓄額」と検索すると、「20代単身世帯の平均貯蓄額は約150万円~200万円程度」という無情な文章が表示された(2000年当時)。私は貯金ゼロ、しかも車2台分のカーローンも抱えている。背筋が一瞬寒くなるのを感じた。
──ここから、私水瀬ケンイチの25年にわたる資産形成の挑戦が幕を開けるのである。
