英国からの資産流出が示す、富裕層の新たな選択基準
世界の富裕層は今、単なる節税を超えた視点で「国境を越える資産戦略」を加速させている。特に2023年には、英国からの高額資産保有者の流出が過去最多となり、従来の安定拠点の条件に変化が生じていることが明らかになった。日本においても、税制や経済環境の変化次第では、同様の動きが起きる可能性がある。資産防衛と次世代の幸福を見据え、富裕層の「第2の祖国」探しが静かに広がり始めている。
「資産を守る」という観点から、国家間の移動は富裕層にとって日常的な選択肢となっている。とりわけ昨年、注目を集めたのが英国からの富裕層流出である。
南アフリカの調査会社「ニュー・ワールド・ウェルス」と英国の「ヘンリー&パートナーズ」が公表した資料によると、2023年に母国を離れた高額資産保有者(HNWI)は世界全体で14万人を超え、過去最大を記録した。そのなかでも、英国からの流出者が約9,500人にのぼり、従来最多だった中国を抜いてトップとなった。
7月に『富裕層が知っておきたい世界の税制【太平洋、アジア・中東、アメリカ編】(ゴールドオンライン新書)』を上梓した矢内一好氏(国際課税研究所首席研究員)は「英国は長らく、金融と法制度の安定性を背景に、多くの富裕層にとって拠点として選ばれてきた。しかし、移民問題を契機とした社会的緊張の高まりや、税制への不安、欧州連合離脱後の経済的不透明感が、流出を加速させる要因となっている」と解説する。
注目すべきは、これは英国に特有の現象ではなく、世界的な共通傾向として広がっているという点だ。ロシア、インド、ブラジルといった新興国を含め、政情不安や税制の変化に伴って資産を移動させる富裕層が顕著に増加しているという。資産を一国にとどめるリスクを、彼らは本能的に察知しているのかもしれない。
日本に目を向けると、表面的にはまだ目立った「富の移動」は起きていないように見える。しかし、経済産業省や国税庁の統計資料を読み解くと、年収2,000万円超の高額所得者は国全体の0.3%にすぎない一方で、彼らが保有する金融資産は飛び抜けて多い。この層が税制や相続環境の悪化を受けて動き出せば、影響は資本市場にとどまらず、不動産や地方経済にも波及する可能性がある。
矢内氏は「日本でも今後、欧州のように、資産課税や相続税の見直しは避けられないでしょう。富裕層にとっては、海外移住という選択肢が徐々に現実味を帯びてきています」と指摘する。
富裕層が求める「第2の国籍」
富裕層が資産と拠点を国外に移す背景には、単なる節税だけにとどまらない。2023年に最も多くの富裕層を受け入れた国はアラブ首長国連邦(UAE)で、1万人以上が移住したとされている。オーストラリアやシンガポール、スイス、カナダといった国々も安定した制度と経済環境を持ち、移住先として高く評価されている。
「これらの国々に共通しているのは、政治の安定、明確な移民制度、そして財産保全のための法的枠組みです。特にUAEでは、所得税や相続税が実質的に存在しない点が大きな魅力となっています。ドバイなどでは富裕層向けの不動産開発も急速に進んでいます」(矢内氏)
また、欧州やカリブ海諸国で導入する「投資市民権」や「ゴールデンビザ」制度にも関心が集まっている。これらは一定額の投資を条件に滞在権や国籍を取得できる仕組みであり、特に事業承継を控える中小企業経営者にとって、リスク分散と税務の柔軟性確保の両面で有効だとされる。
実際にこうした手段を検討している医師や地主のなかには、家族の教育環境や健康保険制度といった生活面での充実を理由に海外への関心を高めている人も少なくない。単なる富の逃避ではなく、「次世代の幸福」を軸に据えた選択が進んでいるのだ。
現在の日本では、海外とのネットワークを持つ税理士や法務アドバイザーに相談する富裕層が増えている。グローバルな観点で資産と暮らしを設計する時代において、移動はもはや特別な決断ではない。むしろ、変化に対する冷静な対応といえる。
THE GOLD ONLINE編集部ニュース取材班