損失を嫌悪して、売りのタイミングを逃すことも
「そうそう、クイズをしよう」と大輔さんが車を運転しながら、智恵と私に問題を出してきた。
「えー?」「何なに?」「答えられるかなぁ」私たちはまるで小学生のように大騒ぎ。
「あなたはA社、B社、2つの会社の株を買って保有しています。A社は、今売ったら100万円の利益が出ます。B社は、今売ったら100万円の損失が出ます。あなただったら、どちらを売りますか?」
「えー、やっぱりA社じゃないの?」と智恵。
「うん、私もA社を売ると思う」
大輔さんは、やっぱりという顔をして、
「確かに、A社の株を売ると答える人のほうが多いんだ。これがよくある思考なんだろうね。でも、A社の利益を先に確定してしまって、一方で、B社はどんどん株価が下がって損失が膨らんじゃったというケースなど、ほんとによくあるんだ」
私は大輔さんの話を聞きながら、母が言っていた和夫おじさんの話を思い出した。
赤信号で車が止まったときに、私は大輔さんに思い切って聞いてみた。
「そういえば、株が塩漬けになっているとかって聞いたことがあるんですが、損が膨らんじゃって、売る勇気がないことからくるんですか?」
「その通り。買った会社の株価がどんどん下がってしまったとき、それを売ったら損失が確定するよね。でも、その損失を確定させるのが嫌で、『含み損』という形のまま株を持ち続けることを、塩漬けにするって言うんだよ」
大輔さんは続ける。
「これが僕たち人間の厄介な部分でね。実際の人間の心理や選び方、行動と結果に注目した行動経済学では、これらを『損失の嫌悪』と言うんだよ」
「損失の嫌悪? 損を嫌がること?」確かにわかるわかると私はうなずいた。もしかしたら、母親が「そんなのギャンブル!」と言ったのも、損が嫌だからなんだろうなと思った。
株を買う前に、売却する値段をイメージしておく
「でも、実際の取引の中で、僕だったら、今のクイズの情報だけでは、A社とB社のどちらを売るかどうかは判断しないな」
青信号になって車が加速してから、大輔さんは言った。
「ずるい!」と智恵が言った。
私も一瞬、やられたという感覚になったけど、すぐに、そっかと腑に落ちた。
この間、ネットで検索をした際に、「株で儲ける」という記事が多かったのを思い出したからだ。儲かるというのは利益を出すこと。そこで、株価が上がった下がったという情報だけを見ていると、このクイズみたいな視点に陥ってしまうのかと思った。これでは売るときも買うときも、そのときの状況でドキドキして終わってしまいそうだ。
「じゃ、どう判断するの?」と智恵が聞いた。
「どう思う?」と大輔さんはフロントミラーを通して私のほうを見る。ドキッとする。
「えっと、株価だけでないとしたら・・・。なぜ上がったり下がったりしているのか、その会社のことをもっと調べてから?」
「ある意味正しいけど、杏奈さんは調べるの好きなの?」と大輔さん。
「お金のことや数字は苦手なんですけど、好きなことを調べるのは好きです。あれ? なんか変な答えですね」自分で言って変な文章だなと頭を掻いてしまった。
「好きなことを調べられるのなら、投資に向いていると思うよ。僕流に言ってしまうと、まず、株を買うときにある程度調べて、どのくらいで売却するかをイメージしておく。そして、その会社の将来性が感じられて共に歩みたいと思うなら保有し続け、そうでなくなったならば、売却のタイミングを探ったりするんだ」
「へぇ、かっこつけちゃってー。でも、会社の将来性を見ているから、お兄ちゃんは就活のときも、いろいろと教えてくれたのね」智恵は、冷やかしながらもお兄ちゃんを尊敬している様子。
「ポリシーをもって保有し、そこからずれたら売却しようと思って物事をみておけば、売却のタイミングは自然とわかってくる。世の中や相場が値動きで慌ただしくなっても、それに巻き込まれることが少ないんだよ」
大輔さんの冷静さはココから来ているのかと私は思った。