「自分が亡くなった後喧嘩しないで仲良く暮らしてほしい…」
86歳の中村康夫さんは、残される子どもたち3人のために遺言書を作成しました。康夫さんの子どもは、53歳の長男・誠さん、51歳の次男・俊夫さん、47歳の三男・雅人さんの3人。康夫さんは誠さんと同居していましたが、あまり関係が良好ではなく、近くに住む俊夫さんが自宅に来て康夫さんの世話をしていました。一方で、雅人さんは、遠くに住んでいたため、一年に一度、孫の顔を見せにくる程度の関係でした。
康夫さんは、子どもたち3人が自分の亡くなったあと、喧嘩しないで仲良く暮らしてほしいという思いから、自分で遺言書の書き方をネットで調べて、自分の気持ちを端的に記載しました。
康夫さんが亡くなったあと、誠さんは、康夫さんのデスクの引き出しから封がされた遺言書を発見しました。誠さんは、自宅の管轄の家庭裁判所に対して、康夫さんの遺言書の検認手続を受けるために、検認の申立てを行いました。
1か月後、家庭裁判所で検認期日が開かれて、誠さん、俊夫さん、雅人さんの3人は、康夫さんが作成した遺言書の内容を確認しました。遺言書には、以下の文言が記載されていました。
「私の財産はすべて俊夫と雅人で平等に分けてください。自宅・土地は誠が守ってください。」
悲劇の始まり
康夫さんと一緒に住んでいた誠さんは、康夫さんの遺言書を見て一安心しました。「自宅土地は誠が守ってください」と書かれていたことから、このまま自分が自宅を取得して自宅に住み続けることができると思ったからです。
康夫さんが亡くなった時点で、約9,000万円の預貯金がありましたが、自宅の評価額が遺産の大部分を占めていました。誠さんは本遺言書に基づいて自宅の土地建物の登記を自分に移転しようとしました。
しかし、そこで俊夫さんと雅人さんから待ったが入りました。俊夫さんと雅人さんは、「私の財産は『すべて』俊夫と雅人で」と書かれていること、「守って」という言葉が自宅の所有権を誠に渡すという意味とは限らないことを指摘して、自宅の土地建物の所有権は、俊夫と雅人の2人で取得することを意図した遺言書ではないか、と主張しました。
誠さんは慌てて「自分が康夫さんと同居してきたのだから、この『守って』という意味は、自分が所有権を取得して従前どおりに自分が自宅に住み続けられるようにするという意味だ」と主張しました。
これに対して、俊夫さんは、誠さんと康夫さんが、生前あまり仲が良くなかったことを指摘して、自宅の所有権を譲ることまで意図していなかったのではないか、と主張しました。この発言を契機に、誠さんと俊夫さんとの間で、「兄さん、がめついじゃないか!」「お前こそ、長男の苦労がわかってない!」と言い争いの喧嘩になってしまいました。
さらなる悲劇
俊夫さんは、その後数か月の間、何回か誠さんと話し合いをしました。しかし、話は平行線でした。そのため、俊夫さんは、雅人さんに連絡してこれから誠さんとの間でどのように話し合いを行っていくべきか、打ち合わせの場を設けました。
打ち合わせの途中で、俊夫さんと雅人さんは、ふと二人で康夫さんの財産をすべて取得することになった場合、どのように分けるべきかという話題になりました。
そこで俊夫さんは、自分が主に康夫さんの世話をしてきたのだから、自分が少し多くもらうことが「平等」な分け方だと考えていると述べました。
雅人さんは当然、二人で2分の1ずつ分けることが「平等」な分け方と考えていたので、俊夫さんの考え方をばっさりと否定しました。
俊夫さんは、雅人さんとの間では「気持ち多くもらえたらいいな」という認識で、自分が大変だった気持ちを汲んでくれるならば、そこまで強く自分が多く取得することを主張するつもりはありませんでした。
しかし、生前ほとんど康夫さんと交流がなく、康夫さんが亡くなったあとの誠さんとの交渉を自分に任せっきりにしていた雅人が、まったく自分の気持ちを考慮することなく、2分の1を要求してきたことで、ついカチンときてしまい、雅人さんとの間でも喧嘩になってしまいました。