中央銀行が国債を直接引き受ける「財政ファイナンス」
◇財政ファイナンスの懸念
つづいて財政ファイナンスについて考えます。政府の歳出に充てる資金は,なんらかの方法で調達されます。最も厳格な調達のしかたは徴税です。歳出を税金でまかなうのが財政の古典的な考え方です。しかし,税金で歳出をまかなえる国は少なく,多くは国債を発行して不足を補っています。
リーマンショックの後,先進国は国債を発行して財政支出を増やしました。その中で財政の持続可能性を高める方法が模索されました。そのうち,耳目をひくものの1つは国債の中央銀行引き受けでした。これは政府が発行する国債を市場に売り出さず,中央銀行が政府から直接買うことです。日本国では,日本銀行が日本国政府から日本国債を直接買い取ることを意味します。
一見財政の持続可能性が高まるようにみえますが,国債の買い手が日本銀行であるだけで,元利払いをしなければならないのは,国債の買い手が民間であるときと変わりません。元利払いを税収でまかなえなければ国債を増発せざるを得なくなりますので,日銀引受は財政の持続可能性に影響を与えることはできません。
より過激な「政府紙幣の発行」や「ヘリコプターマネー」
元利払いをせずにすむようにみえる,より過激な方策として政府紙幣の発行も議論されました。現行制度の下では,政府紙幣は貨幣と同じ手順で発行されます。すでに流通している日本銀行券や貨幣との混乱を避けるために,政府紙幣は流通させずに日本銀行のバランスシートにとどめ,政府紙幣の見合いである政府預金を歳出に充てる形になるでしょう(1)。日本国政府は労せずまとまった額の歳出ができ,得だと感じるかもしれません。
図表1 政府紙幣の発行
しかし,現実はそれほど単純ではありません。日本銀行は政府紙幣という売却できない無利子の資産を大量に抱えることになります。超過準備等に0.1%の利子をつけている状況では,日本銀行のバランスシート上に有利子の負債と無利子の資産が載ることになります。300兆円の政府紙幣を発行するならば,単純計算で毎期300兆円×0.1%=3,000億円の損失を日本銀行はこうむります。日本銀行が中央政府へ納付している利益8,000億円も見込めなくなります(2)。
政府紙幣の発行は,見かけ上の国債残高を増やさない点で心理的な安心感があるかもしれませんが,日本銀行の損失を長く放置することはできません。どこかで政府紙幣を回収することになりますが,回収資金を税収でまかなえなければ,国債を増発せざるを得なくなります(3)。財政の持続可能性は,「誰が国債を保有するか」ではなく,「誰が国債の利払いをするか」という問題です。
現行制度を無視して中世の王様のごとくヘリコプターマネーを投じても,その購買力はいかほどでしょうか。複式簿記が貫徹する世界にFree Lunchはありません。経済成長と社会保障の適正化というとてつもなく重い両輪を少しずつ前に進めるほか「出口」に辿り着く術はないようです(4)。
さいごに,ケインズの『貨幣論』から引用します※。「中央銀行に対して債券を買い入れる義務を課し,その価格が,中央銀行によって長期的な規準と考えられている高さをはるかに超えるようになるまで,それを実行させるのでないかぎり,長期利子の市場利率と自然利率とを相互に均等にさせることが,いったいどのようにして可能かという疑問がもたれるのは当然であろう。しかしながら,このこと〔すなわち中央銀行にそのような義務を課すということ〕は,もしこの長期的な規準についての,その直感的な考えが正しかった場合には,やがて後になって,この買入れを売却に逆転させなければならないときに,それが大きな財務上の損失を表わすことになることを,意味しているであろう」(5)
ここから先は,「海図なき航海」(6)です。
註
(1) 二千円札の流通状況をみると,これが政府紙幣の実像だと考えるのが妥当であろう。
(2) 平成25年度に一般会計へ繰入れられた貨幣回収準備資金は533億円であった(平成25年度一般会計財務書類)。平成26年度に日本銀行が国庫へ納付した利益は7,567億円であった(日本銀行,第130回事業年度(平成26年度)決算等について)。長澤訳(2001,p.267)に「一九二一年中の合衆国への金の正味の輸入は,約六億六○○○万ドルに上った。その受取額が準備銀行に払い込まれ,そしてそれは主として,加盟銀行の負債を返済するために用いられていた結果,一九二二年の春には,準備銀行は,その利子生み資産が,その経費と配当必要額とを満たすはずの額よりも低い水準に,下がりつつあるのを知った」とある。政府紙幣の発行は日本銀行の国有化および金融政策の無効化とほぼ同義である。
(3) ロイター2015年1月5日のコラム『「日本は先進国初のヘリコプター・マネー」発動か』に,元英国FSA長官アデール・ターナー氏が「日銀の保有国債をゼロクーポン永久債へと転換するアイデアを打ち出した」と記されている。Turner(2013)も参照。
(4) 現日本銀行法の下では,日本銀行が保有する資産はマネーの価値を裏付けない。ただし,ハイパワードマネーを吸収するとき,金融機関に「売却」する資産の質が問題となる。金融機関が資産の「購入」をためらえば,ハイパワードマネーを吸収することが難しくなる。旧日本銀行法29条から36条,現日本銀行法46条から49条,日本銀行法施行令15条,日本銀行,日本銀行法第53条第2項に基づく認可申請について,会計検査院,平成26年度決算検査報告,第4章第3節第4 量的・質的金融緩和の導入及びその拡大の日本銀行の財務への影響についてを参照。
(5) 長澤訳(2001,p.391)から引用。
(6) 速水(2002)から引用。国際金融の規制のゆらぎが政策運営の難度を高めている。私情に囚われる実務家,モデルに耽溺する経済学者,知識に乏しい大衆は,いつか現実の重みに耐えられなくなるであろう。その後どうなるかは歴史が教えている。
※引用文中の傍点省略(GGO編集部)
参考文献
・株式会社大阪取引所『国債先物・オプション取引市場の歩み(2005年~2015年)』2015年。
・黒崎哲夫・熊野雄介・岡部恒多・長野哲平『国債市場の流動性:取引データによる検証』日本銀行ワーキング ペーパーシリーズ,15-J-2,2015年。
・黒田東彦『量的・質的金融緩和―読売国際経済懇話会における講演―』2013年。
・齋藤雅士・法眼吉彦・西口周作『日本銀行の国債買入れに伴うポートフォリオ・リバランス:資金循環統計を用いた事実整理』日銀レビュー,2014-J-4,2014年。
・土川顕・西崎健司・八木智之『国債市場の流動性に関連する諸指標』日銀レビュー,2013-J-6,2013年。
・戸原四郎『ドイツ資本主義戦間期の研究』桜井書店,2006年。
・日本銀行企画局『「成長基盤強化を支援するための資金供給」について』日銀レビュー,2010-J-13,2010年。
・日本銀行企画局『「量的・質的金融緩和」:2年間の効果の検証』日銀レビュー,2015-J-8,2015年。
・日本銀行金融市場局『2008年度の金融市場調節』日本銀行調査論文,2009年。
・日本銀行金融市場局『2013年度の金融市場調節』日本銀行調査論文,2014年。
・日本銀行金融市場局『2014年度の金融市場調節』日本銀行調査論文,2015年。
・速水優『第10回国際コンファランス―「21世紀の国際通貨制度」―開会挨拶』金融研究,21, 4, 33-34,2002年。
・吉野直行・前田実・南部一雄・小巻泰之・坡山奇右『新種預金の導入と預金準備率』フィナンシャル・レビュー,26,1993年。
・Keynes, John Maynard著,小泉明・長澤惟恭訳『貨幣論Ⅰ 貨幣の純粋理論』ケインズ全集第5巻,東洋経済新報社,2001年。
・Keynes, John Maynard著,長澤惟恭訳『貨幣論Ⅱ 貨幣の応用理論』ケインズ全集第6巻,東洋経済新報社,2001年。
・Keynes, John Maynard著,間宮陽介訳『雇用,利子および貨幣の一般理論』下巻,岩波書店,2009年。
・Dornbusch, Rudiger, Federico Sturzenegger, and Holger Wolf, 1990, Extreme Inflation: Dynamics and Stabilization, Brookings Papers on Economic Activity, 2, 1-84.
・Hannoun, Hervé, 2015, Ultra-Low or Negative Interest Rates: What They Mean for Financial Stability and Growth, Bank for International Settlements.
・Turner, Adair, 2013, Debt, Money and Mephistopheles: How Do We Get out of This Mess?, Speech at the Cass Business School, City University.