メモの執筆材料集め以外の「重要な役割」
メモ帳を使うときに気を付けなければならないことは、決して落としてなくさないことだ。私の場合、サービス残業をしている疑いのある店長の出勤時間なども書いていたため、だれかが拾ってメモを読めば、潜入取材の意図が知られてしまうかもしれない。私は1日に何度も、メモがポケットに入っていることを確認した。
なかには、とびぬけて記憶のいい人がいるかもしれない。フォトグラフィック・メモリーといわれる映像記憶能力を持つような人だ。しかし、たいていの人の記憶は頼りなく、はかない。たとえば、昨日の夕食の献立は思い出すことができても、3日前、一週間前となると、自分が何を食べたのかさえ曖昧になる。
それはわれわれの記憶が日々、更新されており、脳に過重な負担がかかることがないようにと、必要のない記憶が消されていくように設計されているからだ。脳内で一時的な記憶を蓄えるといわれる海馬、そこにとどめておけるワーキングメモリーの許容量は、7個前後といわれる。
ジャーナリストを志すためには、そんないい加減な自分の記憶力に頼らないことが必要となる。何でもメモに残す。何が重要かという判断は二の次として、書くための材料を集めるために、とことんメモを取る。
さらに、あとで語るようにメモを残すことは、名誉毀損裁判で訴えられたとき、書き手を守ってくれるという重要な役割も果たす。
メモに残すのは取材のときだけにとどまらない。取材が終わり、何カ月かかけて本を執筆する際、途中でいい文章が頭に浮かんでくることがある。往々にして、ぼーっとしているときに、いい文章が浮かんでくるものだ。そのときも、必ず書き留める。
自分の頭に浮かんできたことだから、あとになっても簡単に思い出せるだろう、と考えるのは大間違いだ。いい文章が浮かんでくるのは一回だけで、そのあと、どうしても思い出せないということがしばしばある。浮かんだ文章を書き留めていないと、大きな魚を逃したような後悔に襲われて歯嚙みすることになる。