いい文章が浮かんでくるのは一回だけ
『ユニクロ帝国の光と影』を2011年に出版すると、ユニクロが文藝春秋を名誉毀損で訴えてきた。ユニクロ側はさらに3年半にわたる裁判の期間中は取材を控えてほしいと要望してきたのだが、裁判で文藝春秋が勝訴したあとも、ユニクロは私が決算会見に出席しようとするのを拒んだのだ。
そうした姑息なユニクロの鼻を明かすため、私はユニクロに潜入取材することを決めた。
ユニクロの潜入取材の最初の関門は面接試験である。特にユニクロの主要な労働戦力は、学生と主婦。私のような50代の男は浮いた存在となる。だが、面接に合格しないと潜入取材は始まらない。
2015年秋のこと。ネット経由で時給1000円のアルバイトに応募すると、一週間後に面接を受けることになった。
面接日は、最高気温が20℃を超える晴れの日だった。面接が行われる店長室に入ると、ミュージシャンの布袋寅泰を小柄にしたような店長と、お笑いコンビのチュートリアルのツッコミ担当の福田充徳似の副店長が待っていた。
「メモを取ってもいいですか」
面接が始まると同時に私は了解を求めた。
『ユニクロ帝国の光と影』の取材で、上司の話を聞くときにメモを取っていなかったためにこっぴどく怒られたというユニクロ社員の挿話を何度も聞かされていたからだ。
メモ文化の中で育ってきた店長と副店長に、異存があろうはずはない。というより、ユニクロマインドを身に付けたアルバイト候補がやってきたのではないかと好印象を与えることもできたかもしれない。実際、私は面接当日に採用を知らせる電話を受け、翌日から出勤となった。
ユニクロはメモ会社である。このことは、私の潜入取材にとって有利に働いた。いつでも、どこでもメモを取り放題なのだ。
ユニクロで働いていた1年間、ポケットに入るサイズのノートと黒のボールペンを常に携帯し、時間を見つけては誰はばかることなくメモを取ることができた。自分のシフトや毎日のミーティングの内容、店舗で起こった出来事、掲示板に張り出された連絡事項など、執筆の際の材料になりそうなことは何でもメモに書き留めた。
百円ショップで買ったA6サイズのメモは、働き終わるまでに30冊以上が溜まった。手書きのメモは、古典的ではあるが、潜入取材の記録を残す有力な方法だ。