なぜ最近になってスパイ罪で逮捕者が続出しているのか
2013年の習近平政権誕生で 「王朝が変わった」
日本人や外国人が数多くスパイの疑いで長期にわたって身柄を拘束されてきたという事実があります(前回までのコラム参照)。
ここで疑問が浮かぶのが、「なぜ1997年の刑法改正当時からずっと変わらない刑法第110条・第111条を理由としてスパイ容疑をかけられた逮捕者が、近年になってこんなにも続出しているのか」ということです。皆さんも不思議に思いませんか?
その理由は、2013年に胡錦濤・温家宝政権から習近平政権へ移り変わったことが背景にあります。いわば、「王朝が変わった」と言っても良いでしょう。
胡錦濤・温家宝政権までの時代は、たとえば時に民間企業の人間と中国政府の関係者や外交官が交流を持っていても特にとがめられることもなく、おおらかに見られてきました。それが、王朝が変わったことで一気に変貌したのです。
習近平政権発足当時の時代背景とは
では、習近平国家主席はなぜこのような強権的な政治を行うようになったのでしょうか。
それには、習近平政権発足当時の時代背景が影響しています。江沢民政権から胡錦濤・温家宝政権の間には、政治的安定には経済の発展が欠かせないと考え、当時行っていた改革開放から経済発展重視主義に舵を切ります。
その後、1993年にアメリカ大統領に就任したビル・クリントン大統領に鄧小平や江沢民らが働きかけ、中国の経済発展を全面的に援助する約束を取り付けました。その後、中国はみるみる経済成長を成し遂げ、対1992年比で国家・個人ともに名目GDPがおよそ30倍にも跳ね上がり、豊かな国の仲間入りを果たします。
個人名目GDPが1万米ドルを突破しようとするとき、当時のバラク・オバマ大統領が中国へ西欧型民主主義を政治に取り込むように働きかけたところ、中国は断固としてこれを拒否します。
中国の周辺地域で始まった「民主化運動」の影響とは
習近平政権に交代した頃からアメリカのCIAの別動隊と考えられているNED(全米民主主義基金)が中国の西欧型民主主義化を目指し、活動を本格化させます(各種メディアによれば、それ以前から中国本土や台湾、香港、チベット自治区、新疆ウイグル自治区などで資金提供などの活動を行っていたと見られています)。
政権初年度となる2013年の段階でNEDの活動が顕著になったのを目のあたりにした習近平総書記は、2014年4月15日の中央国家安全委員会第一次会議で「総合的国家安全観」を掲げました。これはあくまでも私の推測ですが、対象をそこまで広範囲に拡大しなければ、NEDの活動が顕著となる弊害を防止できないと判断したのだと思います。
さらに、習近平総書記は2014年10月の中国共産党第18期中央委員会第4回全体会議(以下「四中全会」)で法による国家統治の重要政策を掲げ、同年11月の旧反スパイ法をはじめとする社会主義体制を堅持するための国家安全保障を図る一連の法整備が行われたのです。
時を同じくして、NEDの支援を受けたものと推測される民主化運動が中国の周辺地域で起こります。
台湾では2014年3月18日から4月10日にかけて、学生たちが立法院を実力で占拠し、当時の馬英九総統に「中台サービス貿易協定」の撤回を迫る「ひまわり学生運動」が起きました。
また、2014年9月26日から12月15日には、香港で普通選挙の実施を求めて学生たちが蜂起した反政府デモ「雨傘革命」が起こります。
これらの事態を重く見た中国の国家安全部は、中国共産党の指導を受けて国家安全保障徹底を図るべく、より一層防御活動を本格化させる契機になったと推測されます。
これらの民主化運動の背後でアメリカのCIAやその下部組織が暗躍していたということは、どこまで真実かはわかりませんが、そのような報道は中国のメディアでも随所に見ることができます。
村尾 龍雄
キャストグローバルグループ
CEO