日本を支えた「株式の持ち合い」と「不動産担保金融」
1980年代前半まで、日本は外資系企業がほとんど存在しない稀有な国だった。私は1980年に大学を卒業したのだが、当時の大手の外資系企業というのは日本コカ・コーラと日本IBMくらいだった。
なぜ、そんなことが起きていたのか。私は「株式の持ち合い」と「不動産担保金融」が存在したからだと考えている。
「株式の持ち合い」というのは、取引関係にある企業間でお互いの株式を持ち合う仕組みだ。銀行と融資先企業、あるいは財閥系企業の場合は、グループ内企業で株式を持ち合っていた。
この仕組みがあると、企業を乗っ取ろうと思っても、持ち合いをしている企業は仲間の企業の株式を売らないから、外部の投資ファンドはそもそも乗っ取りを実現できない。
もう一つ、「不動産担保金融」というのは、銀行が融資をする際に融資先企業が持つ不動産を担保として取る仕組みだ。この仕組みのおかげで、銀行はきわめて低いリスクで融資をすることができる。
仮に融資先企業が返済できなくなっても、担保の不動産を処分すれば、資金を回収することができるからだ。
そのため、企業にとっては、銀行から経営への過度の干渉を受けることなく安定的な資金を調達できるし、銀行もリスクの小さい、安定的な経営が可能だ。不動産担保で焦げ付きが抑えられているから、低金利での融資もできる。
実際、日米の銀行の融資の利ザヤを比較すると、日本の銀行の利ザヤはアメリカの半分だった。企業にとっては安い金利で事業資金が調達できるのだから、産業競争力の強化につながる。日本の高度経済成長を支えた大きな仕組みがこの「不動産担保金融」だったのだ。
そんな素晴らしい仕組みなら、アメリカもやればよいと思われるかもしれないが、アメリカの国土は広大すぎて日本のような高い地価がつかない。だから、アメリカは不動産担保金融をやりようがない。
しかし、その日本の株式の持ち合いや不動産担保金融の仕組みを崩壊させる方法があった。
①不動産バブルを起こし、②バブル崩壊後の谷を思い切り深くし、③不良債権処理を断行する、という方法だ。
プラザ合意後、くしくも日本経済はこのシナリオどおりに動いていくことになる。