バブル崩壊後の「不良債権」…実は処理する必要なかった?
バブルが弾け、商業地の地価の大暴落で発生した最大の問題が「不良債権」だった。
不良債権というと、バブル期に調子に乗った企業が誰もお客が来ないようなテーマパークを建設し、それが経営破綻して、融資が焦げ付いたというようなイメージを持つ人が多いかもしれない。
もちろん、そうした事例もいくつかあったのだが、不良債権の大部分は「担保割れ」だった。
不動産担保金融の場合、銀行が融資をする際に、融資先企業の不動産を担保として取る。思い切り単純化して言うと、100億円の融資をする場合は、100億円分の不動産を担保に入れてもらうのだ。
ここで、不動産価格が5分の1に暴落して20億円になってしまうと、銀行は担保を処分しても20億円しか回収できないから80億円分の担保不足になる。この額が不良債権だ。
不良債権が発生した場合の対処法は、基本的に2つしかない。
1つは放置することだ。
不良債権先になったということは、経営が行き詰まったということと一致しない。地価が戻れば、不良債権問題は自然と解消していく。2024年現在、都心の商業地の地価はバブル期を大きく上回っている。だから、不良債権処理を断行しなければ、日本経済はほとんど傷も負わず、順調な成長を実現していただろう。
2つ目の不良債権への対処法は、不良債権先の企業を破綻処理することだ。
不良債権処理の断行を主張する論者は、「地価がいつ戻るかなんて、誰にもわからない。もっと地価が下がるかもしれないのだから、リスクを避けるためには不良債権処理を進めざるをえない」と言う。不良債権先の企業は“生体解剖”され、二束三文でハゲタカファンドに叩き売られる。
担保割れをしている企業を潰すのだから、銀行も融資の回収ができずに大きな傷を負うことになる。
この不良債権に対する2つの対処法の対立は、バブル崩壊後、1990年代の10年間にわたって続いた。
銀行は、不良債権処理の先送りを主張して、融資先企業を守ろうとした。融資先企業を潰せば、自分も返り血を浴びることになるのだから、当然と言えば当然だった。
政府も早期の不良債権処理には及び腰だった。とくに2001年1月に初代金融担当大臣に就任した柳澤伯夫氏は「日本が抱えている不良債権の問題は金融庁の政策の範囲を超えており、その解決のためには金融政策の変更が必要」との考えを強く打ち出した。
今から振り返ると、柳澤大臣の主張は真っ当で、金融緩和に転じて逆バブルを解消すれば、不良債権の問題は自然に解決される問題だったのだ。
しかし、政府は、不良債権処理の方向に大きく舵を切ることになった。小泉内閣が誕生したからだ。
じつは、私にはこれまでの人生のなかで最大の後悔がある。それは小泉内閣の誕生にほんの少しではあるが、手を貸してしまったことだ。