「夜になっても部屋に灯りがつかないの」母のご近所さんから届いた、突然の連絡
離れた場所に住みながらも良好な親子関係を築いていました。そんななか、ゆうこさんにとって母の訃報は予期せぬ出来事でした。
「『今日はめずらしく電話に出ないな、出かけているのかしら?』と思っていたところ、母の近所に住む友人から、私宛にLINEが届いたんです。何かあったときのために、ご近所さんや母の友人数名とLINEを交換していました。
連絡をくれたのは、お向かいのマンションに住む方で、日本時間の7月23日20時頃です。『今日は珍しくXに1度もツイートがないし、夜になっても部屋に灯りがつかないの。心配だから家を訪ねてもいい?』という内容でした。
母は団地の上の階に住む別のお友だちに合鍵を渡していたので、その方に鍵を開けてもらって、その後念のため警察が来て確認、という順序でした。」
お2人は自宅のなかで最期を迎えときのために、すぐに発見してもらい、家族に連絡がいくよう準備していました。
「母は10年前からんすすんで終活」娘に話した最期への備え。「理想的な最期だったかは本人しかわからない」娘の思い
その他、「どのような形で最期を迎えるか」について親子で話し合っていたことがあります。
「10年くらい前から『最期はこうして』と話をしてくれていました。母はエンディングノートを書いており、亡くなったときに必要な書類を全部揃えていたり、葬儀社から見積もりをとったりしていました。それらが置いてある場所やスマホのパスワードなどもすべて教えてもらっていました。ずいぶん前に遺影も撮っていましたし、自らすすんで『終活』をしていましたね。」
大崎さんの「終活」はXやXのフォロワーにも目が向けられていました。
「『亡くなったらXで報告してね』と言われていました。」
日本に帰国した日、ゆうこさんは母のXアカウントからツイート。「博子の娘です。23日の夜に母が永眠いたしました。」と投稿しました。9月2日時点、そのツイートには約16万の「いいね」が送られています。
大崎さんの最期について、ゆうこさんの思いをお伺いしました。
「まさに『ピンピンコロリ』という感じだったので、母らしい最期だったなと思います。でも遺された私としては、突然すぎて…『もっと感謝の気持ちを伝えたかった』『最後にきちんとお別れしたかった』という寂しい気持ちでいっぱいです。
それに本当に理想的だったのかは、本人にしか分からないですよね。部屋のカレンダーに予定が書き込まれているのを見て、寂しい気持ちになりました。」
杉原 杏璃 氏登壇!
「THE GOLD ONLINE フェス 2025 @東京国際フォーラム」
(入場無料)今すぐ申し込む>>