「おい、帰ったぞ!」…60歳、サラリーマンとして最後の帰宅
「定年退職後、妻から〈解散〉を申し渡されました…」
そういうやいなや、人目もはばからず号泣したのは、元会社員の佐藤さん61歳(仮名)だ。
佐藤さんは平成バブルを目いっぱい謳歌した「バブル世代」であり、また、両親からは、クラシカルな日本の価値観を余すところなく承継している。
新卒で勤務した会社は大手の上場企業。たいして出世もできず、同期たちとほとんど団子状態で働いてきたが、それでも定年退職金は2,500万円。住宅ローンも完済した。
「一人娘は親孝行で、県立高校からそこそこの国立大学へ。いまは結婚して子どもが1人います。世間では老後資金の話題で持ちきりですが、うちは私が馬車馬のごとく働いたおかげで、預貯金は3,800万円できています」
厚生労働省『令和5年就労条件総合調査』によると、大学・大学院卒の定年退職金は平均1,896万円。月収換算で36ヵ月分だ。さらに勤続年数別にみていくと、「勤続20~24年」で1,021万円、「勤続25~39年」で1,559万円、「勤続30~34年」で1,891万円、「勤続35年以上」で2,173万円。これらを考えると、佐藤さんは恵まれた退職金を手にしたといえる。
定年退職の日、佐藤さんには「妻と娘家族が、温かくねぎらってくれるに違いない」という自信があった。家に帰れば、妻と娘子夫婦、かわいい孫が顔をそろえ、笑顔で感謝とねぎらいの言葉をかけてくれるはず――。
佐藤さんは自宅の玄関前に立つと、職場から渡された花束を胸に姿勢を正し、勢いよく扉を開けた。
「おい、帰ったぞ!」
「家が暗い…まるで子どもの誕生日パーティみたいだな…」
玄関から見えるリビングの扉は閉ざされ、家のなかは静かだった。
「まさか、息をひそめてクラッカーでお祝いか? 娘が小さかったときの誕生日パーティみたいだな…」
佐藤さんが苦笑いしながらリビングの扉を開けると、そこには、外出着を着た妻がたたずんでいた。明かりはキッチンの作業台のものだけで、足元には膨らんだボストンバッグが置いてある。
「悪いけど、今日で夫婦は〈解散〉よ。どうぞ、あとはご自分でご自由に生きてください」
佐藤さんは、妻の突き放すような口調と冷たい視線に凍り付いた。