社交スキルの自信が低いほうが、むしろ良い理由
心理学者のウィリアム・ジェームズによると、人間を動かすもっとも根源的な力は、「人に認められたい」という欲求だという。この言葉ほど、人間の社交生活の本質を見事に言い表したものは他にないだろう。世界のどんな場所であっても、人間関係の根底にあるのは、「受け入れられたい」「認められたい」という欲求だ。それはこれからもずっと変わらない。
一方で、その欲求がどの程度強いかは人によって異なる。そして、自分は受け入れられているという自信が低いほど、受け入れられるための努力を惜しまない。
ここで、立場を逆にして考えてみよう。受け入れられたい、好かれたいと思っているのが他人で、あなたは彼らを承認する立場だとする。そして、彼らを「自信が高い人」と「自信が低い人」に分類すると……。
あなたの周りにいるのは、あなたに受け入れられるための努力をしない自信家と、あなたに認められるために頑張る自信のない人だ。つまり、ウィリアム・ジェームズの言葉は、社交生活における自信と実力の関係を逆から表現しているということだ。それに加えて、社交スキルの自信が低いほうが、より高度なスキルの獲得につながるということも証明している。
それでは、他人の承認をもっとも必要としているのは、いったいどんな人たちなのか。それは、自信のない人たちだ。そして、他人の承認を求めると、どんな結果が待っているのか。
それは、社会の誕生だ。現に文明とは、他人を喜ばせたいという欲求の産物であり、そして規則や規範を作ることでその欲求をさらに強化している。
たとえば社会には、次のような決まりがある。人のために何かしてあげたら、お返しに何かしてもらえる。人に親切にしたら、自分も親切にしてもらえる。究極的に、私たちが社会のルールを守って行動するのは、人からよく見られたいと思っているからだ。
社交スキルに自信がない人は、他人に好印象を与える可能性も低いと考える。そして、自分は他人に愛されない、尊敬されない、認められないという気持ちが、社交不安を生むことになる。社交能力の自信が低いということは、つまるところ拒絶される恐怖であり、または大切にされないことへの恐怖だ。
自信の低さはまた、その根底に他人との競争という要素もある。それが明らかになるのは、他人から思ったように認められず、自信をなくすような状況だ。ここでもまた、自信のなさが適応力につながる例を見ることができるだろう。
社交スキルに対する自信が低いのは、他者とつながりたいという基本的な欲求が満たされなかったか、または満たされないことが予想されるからだ。つまり自信のなさは、自分はまだ能力不足であり、理想とする人間にはなっていないというサインの役割を果たしている。
もちろん、他人から見た自分を、必要以上に低く見積もっている可能性も考えられるだろう。本当はそこまで厳しい評価は受けていないかもしれない。とはいえ、どうせ間違えるなら、自分に低すぎる点数をつけるほうがいい。
どんな目標であっても、それを達成するには他人の存在が欠かせないことを考えると、社交の場面での自信は、自信全体の中でも大きな地位を占めている。それに加えて、社交以外のどんな分野であっても、自信の低さは、他人の自分を見る目を変えることはできないという気持ちと結びついている。