今回は、従業員にM&Aを「開示」するタイミングについて見ていきます。※本連載は、株式会社日本M&Aセンターの医療介護支援室長、谷口慎太郎氏の編著『病医院・介護施設のM&A成功の法則 改定新版』(日本医療企画)の中から一部を抜粋し、具体的な事例をもとに、病医院・介護施設のM&A成功の法則を解説します。

いつ、どのように説明するか、「現場の肌感覚」が大切

M&Aというとビジネスライクなイメージが先行することもありますが、そこで働く従業員の想いを汲むことができて、初めてよいM&Aとなります。従業員にいつ、どのように説明するのか、「現場の肌感覚」を大切にすることが重要となります。

 

【図表 事例概要】

 

1.譲渡側の視点

 

譲渡側のA社は、グループホーム・ショートステイ等、5施設を運営する比較的まとまった、収益もきちっと確保できている東北の介護事業会社です。社長の年齢が75歳となり、後継者問題を抱えていました。というのも、2人のご子息はそれぞれ会社を経営しており、承継の意思はなく、社長も無理に継がせたくはないと考えていました。

 

社長は以前、別の会社を譲渡したM&A経験がすでにありました。その当時は、M&A専門会社を使わずに成約まで進めましたが、その経験から今回の譲渡に関しては専門の仲介会社を使った方がよいという判断に至り顧問税理士に相談したところ、当社に相談に来られました。

 

2.譲受側の視点

 

譲受側のB社は、A社とは異なる東北エリアを中心に福祉用具レンタル・卸および高齢者施設を運営していました。A社の福祉用具ショップが、B社の所在地にも一部出店しているということで、今回の提携で相乗効果が得られると考えられました。加えて、拠点にしている県内では他施設と福祉用具の取引があるため、事業拡大をしたくても、取引先と競合となりうる介護施設(グループホーム等)を新規に展開できないという背景がありました。

 

とはいうものの経営戦略上、福祉用具の一本柱のみでは今後生き残るのは難しいと考えていました。既に同エリアに拠点を持っているA社とのM&Aであれば、介護事業という第二の柱を持つことができる上、取引先との競合問題もスムーズにクリアできます。

 

ただ検討途中で、A社と同じ県に本社を構える別の相手候補が現れたとき、B社の社長は一度、検討を辞退しようかと悩まれました。その理由として、地元同士で提携した方が上手くいくのではないかと考えたためです。しかし、一緒にM&A検討を進めていたB社の幹部社員が「是非A社とのM&Aを進めたい!」と社長に直談判したことから、社長はその社員のやる気を受け、本件を進める決断をしました。

 

譲受側のM&A検討メンバーは、幹部社員であることがほとんどです。M&A後は、その会社に役員として派遣されたりと将来を担っていく次世代で、検討段階からM&Aに関わることで大きく成長します。

成約まで進んだ重要なポイントは「社員の処遇改善」

3.M&Aコンサルタントの視点

 

M&Aは双方の想いが合致しなければ先へ進むことはありません。本事例の場合、成約に至るポイントは2点ありました。

 

まず1点目は、A社の希望条件に沿った形で、B社が検討を進めたことにあります。A社社長は、自身の会社の社員に対する思い入れが強く、条件として「社員の継続雇用」「社員の処遇改善」を要望しました。

 

社員の継続雇用については、“人材こそがすべて”の介護事業では当然のごとく、B社社長に受け入れていただきました。しかし、問題は社員の処遇改善についてでした。これに関しては、厳しい介護業界のなか、他の企業であっても易々と約束できるものではありません。

 

しかし、処遇改善は本件が進むか進まないかの大きなポイントの1つであったため、当社からもB社社長に、A社への条件提示の前段階で処遇改善について検討していただけるよう申し入れました。すると、B社社長は「少し時間をください」と言われ、その数週間後には処遇改善について明記した意向表明書を提出してくださいました。このB社社長の決断力が、成約まで進んだポイントの1つだったのは間違いありません。

功を奏した「段階的」な開示方法

2点目は、社員への開示タイミングを幹部社員の現場感覚とすり合わせながら決めたことです。この点が本件の最大のポイントでした。

 

社員に開示するタイミングは、慎重に考えなくてはなりません。譲渡側の社員は、いきなり社長からM&Aについての話を聞くと、「会社の経営が危ないのではないか」「これから新体制になってどうなるのか」といった不安を抱きます。

 

特に介護事業において、M&Aが原因で不安になった社員が退社するといった事態は、絶対に避けなくてはなりません。社員は、社長に直接M&Aに関する質問をするのではなく、現場の社員は施設長へ、施設長は専務等のマネジャークラスに質問することが多いのです。

 

この時必要なことは、施設長・専務等のマネジャークラスが社長のM&Aに対する考えを理解し、社長の味方となり、不安になっている社員にしっかりと説明できるような態勢にしておくことです。そうすることによって、社員は安心し、新体制になってもしっかりと業務に邁進できるのです。

 

本事例の場合は、経営権を移す前に、A社社長からA社のキーパーソンである専務と施設長(専務の奥様)を交えた面談を行ってほしいとの申し出がありました。社長としては、今まで一緒にやってきた専務に対しての思いもあり、現場から厚い信頼を得ている優秀な人材であるため、本件をきちんと理解してもらいたいと思っていました。そこで、このタイミングでB社社長と面談をさせた方がよいと判断されたのです。

 

まず、B社社長との面談前に、A社社長から食事をしながらお二人に本案件について開示していただきました。その際、A社社長からは経営権は変わるが、ほかは何も変わらないこと、むしろ処遇面は改善に向けて検討を進めてもらえることをお話ししていただきました。しかし、それを伝えると、お二人は今まで社長とやってきた思いがこみ上げたのか涙されてしまったとのことでした。

 

複雑な心情のなか、自宅に戻られた専務と施設長のお二人は、社長のご年齢・後継者問題・会社の将来等を含めてあらためて話し合い、社長の会社に対する思い、社員に対する思い、相手としてB社を選んだ思い等を理解され、B社との面談に臨むことを決められました。

 

B社社長との面談当日は、まずはB社の会社見学、その後面談という流れでした。その面談のなかで、B社社長はじっくりとA社専務と施設長の話を聞き、「私たちはただ単に買収ということをするのではなく、あなたたちと力を合わせて一緒にやらせていただきたい。むしろ、お二人が中心となって、どんどんやっていただきたい」と話されました。そういったB社社長の言葉から今回のM&Aに可能性を感じ取ったのか、面談の最後には施設長から「活躍の場が広がって楽しみ」との言葉も出て、前向きに進める体制を整えることができました。

 

また、その場で社員への開示のタイミングを話し合いました。結果、現場の肌感覚がある、専務と施設長の判断を採用することにしました。A社社長とB社社長が全社員を集めて一斉に開示するのではなく、まずは施設長・主任クラスへ開示し、その方々から現場に開示していくという段階的な開示方法となりました。M&Aに慣れた社員などおらず、一斉に開示したところで理解できるとは思えないとの判断があったからです。

 

この判断が功を奏し、B社社長が各施設へあいさつ回りに行った際に、社員から「これからよろしくお願いします」と花束をプレゼントされました。こんなにも社員への開示が上手くいったのも、A社社長をはじめ、専務・施設長のお二人がしっかりと説明を行い、社員を納得させられるような人間力あふれる方々であったからだと思います。

 

A社社長のお二人への開示のタイミングの判断、お二人の社員への開示方法の判断、B社社長の面談でのA社を尊重される姿勢が重なりあい、M&Aの実行は非常にスムーズに行うことができました。

 

4.まとめ

 

成約後、A社・B社はまさにシナジー効果を発揮しています。A社は本社を移転し、B社の福祉用具ショールームを開設する段取りを進めていますし、A社の施設にB社の福祉用具を導入し施設環境の向上・整備を図っています。

 

またB社社長のアイディアで、A社社長の意思を継ぐという意味も兼ね、A社社長の似顔絵を用いた会社のトレードマークを作成し、看板に取り付けることも計画しています。M&A後の双方の社員の関係性もとても良好で、専務も福祉用具専門相談員の資格を取るべく、自ら積極的に講習に参加しているとのことです。

本連載は、2015年10月15日刊行の書籍『病医院・介護施設のM&A成功の法則 改訂新版』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

病医院・介護施設のM&A成功の法則 改訂新版

病医院・介護施設のM&A成功の法則 改訂新版

谷口 慎太郎

日本医療企画

M&Aが経営を変え、地域の医療・介護の未来をつくる! 進展する超高齢社会は、日本の社会構造をはじめ、医療・介護の経営環境を変貌させる。 2025年に向けて、人々の安心と安全な暮らしを守るために、経営者がくだすべき判断…

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