マグロ初競り価格「1kg当たり10万円超」の年は日経平均上昇
~過去17年間で「マグロ初競り価格(1kg当たり金額)が10万円以上」だった年は7回。その年の日経平均株価は7回全て「上昇」
豊洲市場で1月5日早朝に行われた新年恒例のマグロの初競りで、青森県大間産クロマグロの最高値は1億1,424万円でした。23年の約3倍で、1億円を超えたのはコロナ禍前の20年以来4年ぶりです。大間産の中で最も大きい238キロモノが1番人気となり、1kg当たり48万円と、過去4番目の高値となりました。4年連続で仲卸業者「やま幸」と買い付けを依頼した「ONODERA GROUP」が落札しました「やま幸」の社長は「三が日から暗いニュースが続く中、少しでも明るい話題になれば」と述べました。
08年からの17年間でマグロ初競り価格(1kg当たり金額)が10万円以上は今回で8回、昨年までの7回すべてで、その年の日経平均株価は全て上昇しました。上昇率の平均は+23.7%です。また、1億円以上のマグロ初競り価格になった過去3回では、その年の日経平均株価は2ケタ上昇となっています。ご祝儀価格的な高額の落札ができる年の景気はしっかりしていると考えられます。
最高値が1億1,424万円で、1kg当たり48万円になった24年の日経平均株価は上昇が期待されます。
景気が良く収入が伸び、懐具合が良い時は競馬の売得金も伸びる
~23年のJRA売得金は「12年連続増加」に。10月下旬から、年初からの累計前年比が増加に転じた
JRAの売得金は22年では前年比+5.8%としっかりした伸び率で、11年連続で前年比増加でした。なお、売得金とは、勝馬投票券を発売した金額である発売金から、出走取り消し・競争除外分の返還金を差し引いた金額です。23年は、22年3月21日までで、まん延防止等重点措置が終了した反動が出たためか、年初からの累計前年比はマイナスの時期が多く、もたついていました。しかし、10月22日に+0.1%とやっと増加に転じました。その後年末にかけて伸び率が徐々に高まり、年末の+0.7%まで、順調に推移しました。結果、23年は12年連続増加になりました。緩やかながら景気拡張局面が続いていたことと整合的な数字です。
景気が良く収入が伸び、懐具合が良い時は競馬の売得金も伸びるようです。平成・令和の34年間(平成元年・1989年~令和4年・2022年)での名目GDP前年比と売得金前年比の相関係数は0.75です。コロナの時期を除く1989~2019年では0.80に高まります。23年は売得金とともに名目GDP前年比の増加も見込まれます。
24年のJRA売得金・年初からの累計前年比は1月8日時点で+5.3%と13年連続増加に向け、プラススタートになりました。
~23年中に「イクイノックスが出走したレース」は、同年1年間におけるG1レースの売得金・前年比・平均を大きく上回った
G1レースの第43回ジャパンカップを制したのは、世界ランキング1位の人気の4歳牡馬、クリストフ・ルメール騎乗のイクイノックスでした。国内外のG1レース6連勝を果たしましたが、ジャパンカップ制覇を最後に現役生活にピリオドを打ち、種牡馬に転向しました。
ジャパンカップでは16年に父のキタサンブラックが勝っていて、6組目の父子制覇になりました。総獲得賞金は22億1,544万円で史上初の20億円超になり、父キタサンブラックの18億7,684万円、これまでの1位だったアーモンドアイの19億1,526万円を抜きました。
23年1年間のG1レースの売得金・前年比の平均は+1.4%でした。増加は12レース、減少は12レースと同数でした。そのうち、人気馬のイクイノックスが出走したのは3レースで、結果は全て1位になりました。売得金・前年比は全て増加で、平均の増加率は+17.2%でした。イクイノックスの凄さがわかるデータです。
新日本プロレス1・4東京ドーム大会
~今年の1・4はコロナ禍以降「最大の観客数」に
WRESTLE KINGDOMは、新日本プロレスが主催する東京ドームのプロレス興行で、1年の中で最大規模のものです。毎年1月4日に開催されることから、通称、1・4(イッテンヨン)と言われます。24年も東京ドームで1月4日にWRESTLE KINGDOM 18が開催されました。
メインイベントの『IWGP世界ヘビー級選手権試合』で、第7代チャンピオンのSANADAとチャレンジャーの内藤哲也が激戦を繰り広げました。観客数は27,422名で、23年の26,085名に比べ前年比+5.1%と2年連続の増加になりました。気兼ねなく大声で声援できることもあり、コロナ禍以降最大の観客数になりましたが、まだコロナ禍前の2000年の40,008名の68.5%にとどまっています。
~勝者・内藤、助けてくれた盟友に「グラシアス、SANADA」と感謝。ファンとともに「デ・ハポン締め」
メインイベントはIWGP世界ヘビー級選手権で、挑戦者・内藤哲也が、必殺技デスティーノでチャンピオンのSANADAを下して初の戴冠を果たし、第8代IWGP世界ヘビー級王者になりました。「諦めない心」は現時点のキーワードのひとつだと思われます。第7代IWGP世界ヘビー級王者のSANADAは23年4月8日両国国技館大会でオカダ・カズチカを破り、悲願の王座を初戴冠し、その後4回タイトルを防衛に成功しましたが約9ヵ月で王座を明け渡しました。
第6代王者のオカダ・カズチカは第4代王者でもあり、前身のIWGPヘビー級王座にも5度つき、両者併せて36回防衛を記録、新日本プロレスを牽引してきたエースです。SANADA選手は、初戴冠直後の会見で「自分は2005年に新日本プロレスの入門テストを受けて、そこで落ちて、そのあと他団体でデビューして、海外行ったり、2016年にまたここ新日本のリングに上がって、そこから7年経って、やっと団体の象徴のベルトを巻くことができました。すごい長かったんですけども、『諦めなければ夢は叶うんだな』っていうのを伝えれたかなと思っております」と発言し、話題になりました。23年春は、コロナ禍からの復活の時期で、「諦めない心」が求められた時期だったと思われます。
24年の1・4大会で死闘を繰り広げたSANADAと内藤の因縁は05年まで遡ります。その年の11月、後楽園ホールで行われた新日本プロレス公開入門テストに唯一合格したのが内藤で、SANADAは不合格となりました。SANADAは他団体を渡り歩きながら新日本にたどりつき、1度は内藤の「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」に加入。しかし関係を絶ち、ついに東京ドームで2人でのタイトル戦が実現したのです。
試合後に、対抗勢力であるハウス・オブ・トーチャーのメンバーのEVILとディック東郷の乱入に見舞われましたが、内藤は、最後の力を振り絞ったSANADAの助けを借りて難を逃れました。これに内藤は「ユニットは変わったけど、いまマイクを握れているのはお前のおかげだよ。グラシアス、SANADA」と助けてくれた盟友に感謝の言葉をかけてから、ファンとともに声を張り上げ「デ・ハポン締め」をしました。元日に能登半島地震が発生した24年は、助け合いが一層求められる年であることを反映した出来事と言えるでしょう。
※本投稿は情報提供を目的としており、金融取引などを提案するものではありません。
宅森 昭吉(景気探検家・エコノミスト)
三井銀行で東京支店勤務後エコノミスト業務。 さくら証券発足時にチーフエコノミスト。さくら投信投資顧問、三井住友アセットマネジメント、三井住友DSアセットマネジメントでもチーフエコノミスト。 23年4月からフリー。景気探検家として活動。 現在、ESPフォーキャスト調査委員会委員等。
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