(※写真はイメージです/PIXTA)

「歴史はツッコミづらい人が作る、と思うのです」世界史ゆっくり解説系YouTuber・弥嶋よつば氏はそう語ります。ハプスブルグ家に「それ以上の近親婚は、しゃくれてしまいます」なんて誰が言えるでしょうか。離婚したいがために英国国教会を設立し、妻の罪をでっちあげて処刑したヘンリー8世。「どんだけ離婚したいねん」「自分が処刑されろ」と総ツッコミが入れば、現在の英国国教会は存在しなかったでしょう。歴史を作った数々のボケにツッコめる時がやって来ました。弥嶋よつば氏、平松健氏による書籍『明日誰かに話したくなる 王家の話』(KADOKAWA)より一部を抜粋し、紹介します。

謎多き王・スメンクカラー ~ネフェルティティと同一人物説も

もなか:「紀元前1336年頃、アクエンアテンは亡くなったとみられている。彼のミイラは王家の谷『KV55』から発見されていて、調査の結果、亡くなった推定年齢は35〜45歳だったという。そうして次のファラオとなったのは…。スメンクカラーだ(図表5)。」

 

謎多き王。(写真=ArchaiOptix, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons)
[図表5]スメンクカラーとされる人物 謎多き王。(写真=ArchaiOptix, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons)

 

みるく:「誰?」

 

もなか:「彼については諸説ある。アクエンアテンの兄弟説、ツタンカーメンの兄弟説…。いろいろあるがネフェルティティと同一人物だという説もある。」

 

みるく:「ネフェルティティちゃん!?」

 

もなか:「スメンクカラーの即位名を検証すると、『アンクケペルウラー・スメンクカラー』。共同統治王としてのネフェルティティの名前と重なるんだ。」

 

みるく:「ネフェルティティちゃんの即位名はアンクケペルウラー・ネフェルネフェルウアテン…!」

 

もなか:「だがスメンクカラーは男性だとするエジプト学者もいる。その根拠は、スメンクカラーに妻がいたことだ。」

 

みるく:「妻おったんかい!」

 

もなか:「その妻とは…。メリトアテンだ。」

 

みるく:「えええええ!? 娘やん!」

 

もなか:「奇想天外な古代エジプト家系図であっても、さすがに母と娘で結婚はないだろうと。」

 

みるく:「ぶっとびすぎよね!」

 

もなか:「だが、ネフェルティティは女王ではなく『王』として君臨した。男性化しているとみなされていて、メリトアテンと結婚したのは、儀式において女性の役割を担う誰かが必要だったからだろう。」

 

みるく:「形式上、王妃っていう立場の女性がいたほうがよかったのね。」

 

もなか:「そして近年、ツタンカーメンの黄金のマスクにメリトアテンの名前が彫ってあるのが発見された。メリトアテンもまたスメンクカラーの共同統治者として君臨していたことがわかったのさ。黄金のマスク以外にも、ツタンカーメンの王墓から見つかった豪華な副葬品の一部も元々はメリトアテンのものだったとみられているよ。」

 

イラスト:弥嶋よつば
イラスト:弥嶋よつば

 

もなか:「そして、スメンクカラーとなったネフェルティティが真っ先に命じたのは、夫のアクエンアテンが作った新都アケト・アテンの放棄だった。」

 

みるく:「え、放棄しちゃうの?」

 

もなか:「アクエンアテンの急激な宗教改革は、結局うまくいかなかった。アテン信仰を広めるための都や遺跡の建設にお金をつぎ込んだが、財源には無頓着だったためエジプトは破産状態。人々は貧しく、アケト・アテンの共同墓地からは栄養失調で亡くなった遺体がたくさん見つかっているという。」

 

みるく:「つらいわねー。」

 

もなか:「夫が亡くなってもなおスメンクカラーとして統治を続けたネフェルティティ。それはきっと、夫によって苦しめられたエジプトを救おうとしていたのかもしれない。」

 

みるく:「すごいわネフェルティティちゃん。でも、ということはアクエンアテンが生きている間、」

 

ネフェルティティ:『こいつの改革、失敗しとるやん。こいつが死んだら私がもとに戻したろ。』

 

みるく:「って内心は思ってたのね。」

 

もなか:「そうだろうな。」

 

みるく:「アクエンアテンをぶん殴ってでも止めてくれたらよかったのに。」

 

もなか:「やめなさい。」

 

みるく:「もしかして、ぶん殴った結果スメンクカラーになれたのかもしれないわね。」

 

もなか:「アクエンアテンがネフェルティティにぶん殴られて死んだとすると…って、変な疑いかけるんじゃない。そして、スメンクカラーとメリトアテンの共同統治はわずか3年ほどで終わる。おそらくスメンクカラーは亡くなったとみられ、メリトアテンも歴史から姿を消している。」

 

みるく:「悲しいわねー。」

 

もなか:「ネフェルティティ、メリトアテンもまた大変な運命をたどっていたね。メリトアテンが父アクエンアテンとの間に生んだ子供はメリトアテン・タシェリト(小さなメリトアテンの意味)という名前だったよ。」

 

みるく:「アクエンアテンと結婚して子供を生んで、その後は母親のスメンクカラーと結婚し、共同統治者として君臨…すごい人生だったわね…。」

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※本連載は、弥嶋よつば氏(著)、平松健氏(監修)の書籍『明日誰かに話したくなる 王家の話』(KADOKAWA)より一部を抜粋・再編集したものです。

明日誰かに話したくなる 王家の話

明日誰かに話したくなる 王家の話

弥嶋 よつば(著)
平松 健(監修)

KADOKAWA

【人気YouTubeチャンネル「よつばch」、待望の書籍化】 権力を分散させないために、近親婚を繰り返したスペイン・ハプスブルク家。「王の長女は王以外の王族男性と関係が持てない」など謎のルールが多数存在する古代エジプト…

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