(※写真はイメージです/PIXTA)

「歴史はツッコミづらい人が作る、と思うのです」世界史ゆっくり解説系YouTuber・弥嶋よつば氏はそう語ります。ハプスブルグ家に「それ以上の近親婚は、しゃくれてしまいます」なんて誰が言えるでしょうか。離婚したいがために英国国教会を設立し、妻の罪をでっちあげて処刑したヘンリー8世。「どんだけ離婚したいねん」「自分が処刑されろ」と総ツッコミが入れば、現在の英国国教会は存在しなかったでしょう。歴史を作った数々のボケにツッコめる時がやって来ました。弥嶋よつば氏、平松健氏による書籍『明日誰かに話したくなる 王家の話』(KADOKAWA)より一部を抜粋し、紹介します。

【前回の記事】現代人から見ると「アメンホテプ3世=女好き&歯槽膿漏のおっさん」。ツッコミどころだらけの「エジプト・ツタンカーメン家」 

アメンホテプ4世 ~ツタンカーメンの父

出所:弥嶋よつば(著)・平松健(監修)『明日誰かに話したくなる 王家の話』(KADOKAWA)
[図表1]エジプトの王家家系図 出所:弥嶋よつば(著)・平松健(監修)『明日誰かに話したくなる 王家の話』(KADOKAWA)

 

イラスト:弥嶋よつば
イラスト:弥嶋よつば

 

紀元前1362頃~。下から見上げることを想定して造られているので顔が長い。(写真=Personal picture of Gérard Ducher,Egyptian Museum, CC BY-SA 2.5 , via Wikimedia Commons)
[図表2]アメンホテプ4世 紀元前1362頃~。下から見上げることを想定して造られているので顔が長い。(写真=Personal picture of Gérard Ducher,Egyptian Museum, CC BY-SA 2.5 , via Wikimedia Commons)

 

もなか:「彼女はクレオパトラ7世や、ラメセス2世の妻ネフェルタリと並んで古代エジプト三大美女の一人と称されているのさ。」

 

みるく:「胸像もすごい美人ね(図表3)。」

 

紀元前1370年頃~。アメンホテプ4世の謎多き王妃。この美しい胸像は現在、ベルリンの博物館が所蔵。ベルリンにやってきた美女となっている。(写真=Philip Pikart, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons)
[図表3]ネフェルティティ 紀元前1370年頃~。アメンホテプ4世の謎多き王妃。この美しい胸像は現在、ベルリンの博物館が所蔵。ベルリンにやってきた美女となっている。(写真=Philip Pikart, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons)

 

もなか:「『やってきた美女』とか『美しい女性が来た』といった意味を表すネフェルティティは、ここまでの経歴が謎に包まれている。アメンホテプ3世が晩年に結婚したタドゥヘパと同一人物ではないかという説も根強いが、現在は違うとみられているようだ。ネフェルティティはティイと同じくエジプト人の名門家系で、アイの娘だと思われる。」

 

みるく:「アイの娘…ってことはアメンホテプ4世とはいとこ同士で結婚したってことね。」

 

もなか:「そしてムトネジェムトという妹がいたことがわかっているのさ。ネフェルティティは『偉大なる王の妻』の称号とともに歴史に登場するんだが、結婚自体はそれ以前からしていた可能性が高く、結婚から1年後には娘が生まれていたという。夫婦仲はとてもよく、生まれた子供はメリトアテン、メケトアテン、アンケセナーメン、ネフェルネフェルウアテン・タシェリト、ネフェルネフェルウラー、セテプエンラー。」

 

みるく:「多いな。そして名前がややこしい。」

 

もなか:「全員女の子だった。なかなか男の子が生まれず、でも跡継ぎに男の子が必要ってことでアメンホテプ4世は別の女性と子供を作る。」

 

みるく:「昔テレビのドキュメンタリーで見たことあるわ、たしか第2王妃のキヤでしょ。」

 

もなか:「いや、確かに昔はキヤだといわれていたんだけど、2010年のDNA調査でキヤじゃないことがわかったのさ。」

 

みるく:「そうなの!?」

 

もなか:「調査の結果キヤではなく…アメンホテプ4世の姉だとわかった。」

 

イラスト:弥嶋よつば
イラスト:弥嶋よつば

 

もなか:「以前から発見されていたものの、身元がわからず『young lady』と呼ばれていた若い女性のミイラがあって、そのミイラがアメンホテプ4世の姉でもあり、子供の母親でもあったんだ。」

 

みるく:「びっくりやな…。」

 

もなか:「まぁ、【前回】も言ったけど当時の王族は近親婚が普通で、こういう姉弟での結婚はむしろ推奨されていたよ。そして、この姉弟夫婦から生まれたのがあのツタンカーメンさ(図表4)。」

 

紀元前1341頃~。厳密にはトゥトゥアンクアメンと表記されることもある。黄金のマスクはあまりにも有名。(写真=en:User:MykReeve, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons)
[図表4]ツタンカーメン 紀元前1341頃~。厳密にはトゥトゥアンクアメンと表記されることもある。黄金のマスクはあまりにも有名。(写真=en:User:MykReeve, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons)

 

みるく:「やっと出てきたわねええ!」

 

もなか:「ツタンカーメンは1922年に、王墓が考古学者のハワード・カーターによって発見されたことから一躍有名になった。王墓は荒らされたこともなく、黄金のマスクも豪華な副葬品もそのままだった。」

 

みるく:「当時は近親婚が普通といっても、血が濃くなるから悪い影響はなかったの? ハプスブルグ家のカルロス2世みたいに。」

 

もなか:「血が濃いのが原因かはわからないけど、ツタンカーメンはホルモンバランスに異常があって、お尻が大きくなったりと女性化の特徴が見られ、少女のような外見だったそうだよ。さらに左足の骨の一部が壊死して、その影響で左足首が常に内側に曲がって、杖がないと歩けなかったようなのさ。だから、王墓から杖がたくさん見つかっている。それに、左足の一部が壊死していたということは普段から相当な痛みを抱えていたということでもあるんだ。」

 

みるく:「そう思うとつらいわね。ずっと痛かったなんて。」

 

もなか:「さらに上下の歯のかみ合わせが悪くて、ひどい出っ歯でもあったらしい。」

 

みるく:「少女のような見た目で、ひどい出っ歯かぁ。」

 

もなか:「ツタンカーメンの母親じゃないとわかって影が薄くなった第2王妃のキヤだけど、アメンホテプ4世との間に娘を産んでいたことがわかっている。そして、実はこのキヤがタドゥヘパだったんじゃないかとも言われる。」

 

みるく:「タドゥヘパちゃんここにいたのね!」

 

もなか:「キヤはアメンホテプ4世に寵愛されていて、キヤという名前の意味は『猿』。」

 

みるく:「さる!?」

 

もなか:「猿はエジプト神トートの象徴なんだよ。というかトートは知恵の神様でトキ・ヒヒだからみるくがイメージするおサルさんではないと思うぞ。」

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※本連載は、弥嶋よつば氏(著)、平松健氏(監修)の書籍『明日誰かに話したくなる 王家の話』(KADOKAWA)より一部を抜粋・再編集したものです。

明日誰かに話したくなる 王家の話

明日誰かに話したくなる 王家の話

弥嶋 よつば(著)
平松 健(監修)

KADOKAWA

【人気YouTubeチャンネル「よつばch」、待望の書籍化】 権力を分散させないために、近親婚を繰り返したスペイン・ハプスブルク家。「王の長女は王以外の王族男性と関係が持てない」など謎のルールが多数存在する古代エジプト…

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