【介護体験】突然歩けなくなった父
妻に励まされながらきょうだい関係をとり戻す日々
■クロダイさん(54歳)
大阪府在住の男性。20年前に母が急死して以来、父(85歳)は北関東でひとり暮らし。2年前に脊柱管狭窄症で歩行困難になり、現在は埼玉県内のサービスつき高齢者向け住宅に暮らす。兄二人は埼玉と東京に在住。
毎週日曜日の定期電話で「おかしい!」
20年前に母が急死してから、父はずっとひとり暮らし。数年前から足腰の衰えが気になり始めていたが、しだいに腰痛がひどくなり、正月に帰ったときには歩くこともつらそうだった。
幸い、近所には親戚や友人が多く、朝夕に声をかけてくれ、買い物も引き受けてくれていた。
私自身は大学時代から関西在住。関東の実家には最低でも年2回帰省し、毎週日曜日夜8時には必ず父に電話して声を聞くようにしていた。
正月の帰省から4ヵ月くらいたったころ、日曜日の電話で父が「腰が痛くて風呂から出られなかった」と言う。声がいつもより弱々しく、シリアスな状態だと気づいた。
しかし仕事の都合ですぐには帰れず迷っていると、妻が「様子を見てくるよ」と父のもとに行ってくれた。妻が病院に連れていくと、脊柱管狭窄症との診断。入院することになり、急きょ私も帰省した。
前回通院したときにはもう入院をすすめられていたらしい。高齢の親の通院には付き添いが必要だと痛感した。
父が自宅で過ごす最後の時間
入院当日、主治医から「お父さんが以前のようにひとり暮らしができるかはわからない。もしかしたら、今朝家を出たのが最後になるかもしれません」と言われたのはショックだった。退院までは2ヵ月しかなく、すぐにでも今後のことを決めなくてはいけない。妻にすすめられ、超久しぶりに二人の兄と会うことにした。
兄たちは父との折り合いが悪い。どちらも実家までは1~2時間なのに、帰省することはめったになかった。それでも二人は時間をつくってくれ、父の現状を共有し、今後について話し合うことができた。その日の話し合いでは具体的なことまで進まなかったが、私にとって大きな前進だった。
その後、埼玉に住む長兄が家の近くでサービスつき高齢者向け住宅を見つけてくれた。
父も退院後に転居することに同意した。私は父を自宅に1泊させてから施設に移してあげたいと思っていたが、長兄は反対した。1泊することで父の決意が鈍るかと不安だったのかもしれない。
それでも、自宅で家族そろって昼食をとり、ご近所さんに見送られて転居した。
現在、父の世話は長兄夫婦が担ってくれている。次兄と父の溝はまだ埋まらないが、あき家になった自宅の片づけは手伝ってくれる。もっと早い時期から3人で顔を合わせていればよかったと思う。
印象深いのは、父の入院前日の夜だ。お風呂に入るのをイヤがる父に、妻が「体をふいてあげるよ」と、蒸しタオルで父の体を丁寧にふいてくれた。父は最初驚いていたが、しだいに笑顔になり「ありがとう」と言ってくれた。要所要所で支えてくれる妻には本当に感謝している。
上大岡トメ
イラストレーター