「働くことが苦痛」となっている現状を変える
(年金支給開始年齢を75歳に引き上げるという)ラインフェルト前首相の発言は衝撃だったが、その意図するところは国民の「働くことの意識改革」である。国民や企業同士の過酷な競争を通じて国の発展を追求するアメリカ型の「競争社会」では、ほんのひと握りの強者のみが仕事に生きがいを感じている。すなわち、知恵、創造力、行動力を持つ者のみが、仕事を通じて自己実現を図り、働くことに生きがいを見出している。
しかし、大多数の国民はどうだろう。その他大勢の者にとって、働くことは苦痛となっているのではないだろうか。たいていの場合、置かれている立場は弱く、仕事内容はやりがいを感じにくく、賃金も天井が見えている。何より、効率を最優先に作られた組織にシステマティックに配置され、人と人とのつながりを見失いやすい。その他大勢の人々は、ただ生活のためだけに、ときにはリストラに怯おびえながら、しかたなく働いている。心身が充実した、人生のいちばんよい時期のほとんどを、さしてやりがいのない仕事に費やすことになる。これは、競争原理を原動力とする国での必然であり、致し方のないことだ。
一方、福祉国家スウェーデンは共生・連帯の社会であり、弱肉強食のアメリカとは対極にある。ひと握りの強者の幸せではなく、国民全体の幸せを希求する社会だ。スウェーデンのような国にとって、大多数の人々が働くことに苦痛を覚えるアメリカ的な競争社会は、国の理念に反するものだ。
首相が提唱する新しい生き方「人生二毛作」
21世紀は働くことの多様化が進み、国民の働く現場は大きく変容している。情報・知識・サービスが所得を生む時代となった。この点に関して、スウェーデンは世界に先駆けている。世界的知名度を誇るスウェーデン企業は、どのジャンルであっても、技術・理念とも、時代の先端を行くものばかりである。
だが、スウェーデン社会がとうの昔に「脱・工業化社会」になっているにもかかわらず、多くの人々の労働意識は相変わらず、前世期の工業化社会の意識そのままのようである。だからこそ、早く定年を迎え、働くことの苦痛から逃れたいと考えるのだろう。実際のところ、公的年金制度は、働くことに関して、前時代的な意識を前提に作られた制度だとも言える。公的年金は、長年の苦痛からの解放、人生終盤の「ご褒美」といったところであろうか。
21世紀に入り、先進諸国の経済社会は脱工業化の社会となった。働くことを生活のためだけだと限定する国民の意識や、そうした意識を前提とした社会の制度・仕組み、企業組織を根本的に見直す時期に来ている。
ラインフェルトの提案は、そうした既存の枠組みを変革しようと訴えている。そのひとつが「人生二毛作」という考え方だ。これは、「人生を2つの期に分けて、職業を変えよう」という提案である。20歳から40歳代後半を第1期、50歳から75歳を第2期とするワークライフが一般的となるような社会を提案している。40歳代後半から50歳代前半になったところで、1、2年程度、再度、学校に戻って2度目の職業に備えた学習をする。その学習の受け皿となるための大学や、職業学校の在り方も変える必要がある。
従来、スウェーデンでは、国民同士の連帯を地域(コミュニティ)に求めた。政府の行政サービスは、コミュニティが担ってきた。これは、スウェーデンでは、人と人との結びつきの場をコミュニティに求めてきた証左だ。国民の連帯の場、結びつきの場をコミュニティだけではなく、働く現場である企業にも求めようというわけである。
こうした働き方を通じて、すべてのスウェーデン国民が自己実現を図り、国民同士が連帯を強める。まさしく、働くことの意義は、ここにあるのではないだろうか。「人生二毛作」。共生社会、連帯社会、スウェーデンの国家理念である「国民の家」にふさわしい「働き」の場を創るべく、もう一度、社会を創り直そう。それが、「働く人たちの政党」を標榜する穏健党のラインフェルトの提案なのだ。