(※画像はイメージです/PIXTA)

高齢化が進む現代、高齢者に関連した事件や事故が増えています。特に認知症を抱えた高齢者に関する事故や犯罪被害は深刻な問題です。信頼できる人であっても、身内であっても、財産などを安易に任せてしまうことの危険性が浮き彫りになっています。高齢者に関連する事故や事件を予防するためにはどのような対策が必要か、今一度考える必要があります。本記事では、弁護士で介護ヘルパーの資格を持ち、主に介護・福祉の業界におけるトラブル解決の専門家として知られる外岡潤氏の著書『弁護士 外岡潤が教える親の介護で困った時の介護トラブル解決法』(本の泉社)から、具体的な事例が書かれた箇所を一部抜粋転載して紹介します。

介護はやり損? 「監督義務者」の責任は…

平成28年3月に最高裁判決が下された、JR認知症者鉄道事故事件というケースがあります。これは、自宅から外出し駅のホームから線路上に出てしまった高齢男性が電車にはねられ、その運営会社であるJRが同居の奥さんや別居中の子どもたちを監督義務違反として訴えたという前代未聞の出来事でした。

 

結論として遺族の責任は否定されましたが、なぜこのようなことが起きてしまうかというと、そもそも法律(民法)というものが「犯人探し」をするという性格があることによります。

 

法律の世界ではまず事故を起こした本人が賠償責任を負いますが、本人が認知症等で責任能力なしと判断されれば責任を負いません。その代わりに近親者など「監督義務者」が監督責任を問われることになります。

 

JRの事件では、具体的に誰が高齢男性の監督義務者に当たるかが主な争点となりました。

 

しかし、その観点では、結局本人と同居するなどして深く関われば関わるほど、監督義務者と認められやすいことになります。そうなると、優しくて責任感の強い人ほど認知症の身内を抱え込んでしまい、何か他人様に迷惑をかけたら責任を負わされる……ということになってしまうのです。

 

以前、似たようなケースで相談者から「結局、介護はやり損ですか」と問われたことがありました。返答に詰まりましたが、考えてみればその通りなのかもしれません。

 

しかしそれはあくまで、法律のルールに基づいて損得勘定した場合の話です。そのような優しくて責任感のある親族が最後にばかをみるような制度自体がおかしいのであり、改めるべきと考えます。

 

最高裁まで争われたことからも分かる通り、責任能力や監督責任の有無の判定は紙一重であり、また監督者となる家族がいないケースも多く、そうなると被害者は救済されません。

 

そうであるならば、被害者救済の観点からはもはやこの「監督義務者」という概念に頼るべきではないと考えます。では社会全体として何ができるかというと、本件のような場合は、鉄道会社が認知症の方が危険な場所に立ち入らないよう予防策を講じるべきといえるでしょう。

 

まずは駅員をはじめとする関係職員に認知症についての教育をおこない、ホームには東京の地下鉄のようにガイドラインやホームドアを設置します。すぐには実現できなくとも、線路上に降りることができる経路があれば鍵をかける、監視カメラや赤外線アラートを設置するなど、今すぐできることはたくさんあるはずです。

 

このように、いつ認知症の人が入り込んでも保護できるように社会の側が変わっていくべきなのです。さもなければ、何かあれば監督者=家族や介護事業者のせいにされ、その結果高齢者は外出を禁止させられたり、屋外での活動が著しく制限されてしまうでしょう。

 

しかし、そのような社会が理想の超高齢社会といえるでしょうか。少なくとも私は、年をとるごとに肩身の狭い思いをしなければならないようなコミュニティで暮らしたいとは思いません。

 

 

外岡 潤

「弁護士法人おかげさま」代表

弁護士

 

弁護士 外岡潤が教える親の介護で困った時の介護トラブル解決法

弁護士 外岡潤が教える親の介護で困った時の介護トラブル解決法

外岡 潤

本の泉社

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