(※写真はイメージです/PIXTA)

不動産情報サイト「SUUMO(スーモ)」の住みたい街ランキングで2018年から6年(※本記事内、書籍執筆時点では5年)連続1位を獲得している「横浜」。交通の便、景観、居住コストと魅力あふれる街、かつてはかつては住みたい街の上位にランキングされるような街ではなかったと、東急株式会社常務執行役員の東浦亮典氏はいいます。圧倒的人気を誇る横浜の「意外な歴史」をみていきましょう。※本連載は、東浦亮典氏の著書『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)より一部を抜粋・再編集したものです。

鉄道、住居、商業施設…利便性バツグンで人気の「横浜」

東横線の最後は「横浜駅」です。ひとつの駅に乗り入れる鉄道事業者数が日本最多で、11路線と実にたくさんの鉄道路線が横浜駅には接続しています。2019年度の乗降人員数は約230万人で、JR東日本管内では新宿駅、渋谷駅、池袋駅に次ぐ第4位となっており、東京駅より多いので、その交通利便性の高さは言うまでもありません。

 

また海の景観が素晴らしく、観光地としての人気も高いのは周知の事実です。それに加え、東京都心と比較すると若干リーズナブルな居住コストで住むことができるうえ、駅周辺の飲食店、商業環境も非常に整っているところなどが人気の秘密かもしれません。

 

「SUUMO」の「住みたい街ランキング」で2018年以来、5年連続で1位を獲得している「港町横浜」ですが、かつては「住みたい街」の上位にランキングされるような街ではありませんでした。

 

かつては油槽所…長い歴史をもつ横浜

2022年は鉄道開業150周年の歴史的な年ですが、ご存知の通り1872年に新橋駅〜横浜駅(当時はいまの桜木町駅)間に日本初の鉄道路線が敷かれたことに始まります。

 

長い歴史のある横浜駅ですが、周辺一帯は明治から大正期に新田開発のために陸路と線路間の海面を埋め立ててできた土地です。明治後期には油槽所(ゆそうじょ)として使用していたのですが、関東大震災の時にオイルが漏れ、あたり一帯が十数日にわたって燃え続けたという記録が残っています。

 

周辺住民の反対運動によって、油槽所は鶴見区安善町に移転したので、この跡地を1928年に新しい横浜駅としたのが始まりです。その後、私鉄各社が横浜駅に接続するようになり、駅として発展が始まります。

 

第二次世界大戦の空襲であたり一面は焼け野原になりましたが、戦後急速に復興して駅西口周辺を中心に繁華街として賑わいました。私も子どもから学生時代に、たまに横浜駅西口に行くことがありましたが、渋谷などと比較すると不慣れだったせいもあって、その複雑さと東京とは少し違った雰囲気、文化に戸惑い、軽いお上りさん気分になったものでした。

 

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※本連載は、東浦亮典氏の著書『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)より一部を抜粋・再編集したものです。

東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ

東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ

東浦 亮典

ワニブックス

東急電鉄に所属していた2018年に、前作『私鉄3.0』で「電車に乗らなくても儲かる私鉄の未来」を提言した東浦亮典氏。あれから4年、電鉄業界はコロナというこれまでにないパンデミックに見舞われた。テレワークの普及で働き方が…

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