株式の承継にあらゆる手を尽くしたはずが……
歴史ある会社ほど、事業承継に苦労するケースは多いようです。
F社は終戦直後に創業され、現在法人化70年の繊維業を営んでいます。創業者が昭和の時代に事業を大きく伸ばし、簿価純資産が300億円を超えるまでになりました。
ところが創業者が3年前に95歳で亡くなり、3人の子どもたちは、財産の相続でもめることになってしまったのです。
F社の株主構成は複雑です。まず、公益財団法人が10%保有しています。次に従業員持株会が30%、2代目の長男に出資させてつくった持株会社が30%。
ここまでで計70%の支配権になり、創業者の生前から2代目の長男が実質的にF社を支配する形に承継が進められました。
問題は、残りの30%です。資産管理会社が15%、残りを長男、次男、長女の3人で5%ずつ持ち合っています。
そして、その資産管理会社の持ち主は、創業者の妻が40%、長男、次男、長女がそれぞれ20%ずつという具合に「田分け」されていました([図表1]参照)。
創業者は晩年「困ったら会社に株を売れ」が口ぐせだったそうです。会社の株をすべて手放し、「やるべきことはやった」と思ったのか、周囲から遺言の必要性を勧められながらも、それを聞き入れることなく亡くなりました。
相続でもめることになったのは、創業者の個人財産の分け方です。
海外ブランドを日本に輸入する事業で伸びたF社。創業者は外貨を山のように得て、それをスイスのプライベートバンクに預けていました。
さらに、高価な絵画、国内の不動産などを合計すると、個人資産は60億円にのぼりました。遺言がなかったので、これらは相続人ですべて共有の状態になり、遺産分割協議となったのでした。
着地点の見えない遺産分割協議
2019年の秋、四十九日を終え、家族が集まった場で次男がこう切り出しました。
「兄貴は会社をもらっているよな。俺と妹で個人財産は半分で分ける。それでいいよな?」
「おいおい、会社は会社だ。おやじが会長になってからの30年、俺が社長をやってきたんだ。会社の株は対価を払って取得している。会社を財産分けに入れるのはおかしいだろ」
「兄貴はおやじの言いなりだっただけだろ。今の会社はおやじが残した会社だ。その株をもらっている兄貴には個人財産を相続する権利はないよ」
「ろくな仕事にもつかずに親のすねかじりを続けてきたおまえに、何を言う資格があるんだ!」
そこへ妹も主張し始めます。