写真:PIXTA

居場所がなくても幸福と思える生き方とは? 2040年には、独身者が「5割」に。だれも見たことのない、超ソロ社会が到来する。ますます個人化が進む中、私たちは家族や職場、地域以外に、誰と、どこで、どうつながれば、幸福度を高められるのか?また、親として、人生の先輩として、これからその時代を生きる子どもたちに何を伝えられるのか?ソロ社会及び独身生活社研究の第一人者、荒川和久氏の著作『「居場所がない」人たち』から一部抜粋してお送りします。

ソロ派か、トモ派か

私の調査においても、内向的・外向的もほぼ半々だったが、加えて「一人が好きなソロ派」と「皆と一緒が好きなトモ派」のどちらかの傾向が強いかについてもほぼ半々に分かれた。

 

ここでいう「トモ」とは「友」ではなく「共」という意味である。「ソロ派」と「トモ派」のどっちが善か悪かの話ではなくどっちがより自分にとって快適かという話である。これもどちらか一方に100%偏っている人間もいない。

 

勿論、未婚と既婚とで比較すれば、未婚の方は「ソロ派」が多く、既婚は「トモ派」が多くなる。

 

しかし、これを「未婚者はやはり、内向的で人付き合いの悪い人が多いのだ、だから結婚できないんじゃないか」と安易に解決するのは大間違いである。既婚者に「トモ派」が多くなるのは当然で、毎日、配偶者や子どもと一緒に暮らしているわけで、それが彼らの環境だからだ。

 

夫婦も家族もひとつの社会生活である。生活の環境がそうである以上、それが前提として生活が構築されるのだから何の不思議もない。

 

同様に、一人暮らしの未婚が毎日一人で夕食を食べることは彼らの日常であり、「だから何?」という話でしかない。

 

環境によって起きた状態を原因であるかのようにこじつけて、「内向的だとか、一人が好きとかいってるから、友達がいないんだ」というのは乱暴すぎる。

 

「ぼっちは孤独だからよくない」や「家に引きこもるのはよくない」など、個人の特性も考慮しないで大きなお世話をいいたがる識者もいるが、本人にとって慣れ親しんだ環境や快適な行動は様々である。

おじさんが“依存しているもの”

興味深いことだが、「友達がいない」といわれて怒るのは既婚の中年男性に多い。しかも、ある程度社会的地位の高い人に多い。

 

聞いてもいないのに「俺は友達多い」と見栄を張るのもそうだ。

 

なぜおじさんは友達が少ないことを恥と感じるのか? それこそが友達の数に代表される自分自身の数量価値(年収とか肩書とか)に依存しているからだろう。数量価値依存は決して悪いものではない。そういうものが勉強も仕事も頑張れる原動力にもなるからだ。だからこそ、そのおじさんは結果として高い年収や地位を獲得したともいえる。

 

しかし、長年そればかりに依存し続けると、そういうものが一気に剝奪された定年後に空虚になるのである。自分自身を見失うのである。

 

大事なのは友達の数ではない。

「居場所がない」人たち

「居場所がない」人たち

荒川 和久

小学館

居場所がなくても幸福と思える生き方とは? 2040年には、独身者が5割に。だれも見たことのない、超ソロ社会が到来する。 ますます個人化が進む中、私たちは家族や職場、地域以外に、誰と、どこで、どうつながれば、幸福度を…

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