「コスパがよい」ことを求めると、際限ない地獄に陥ってしまう
たしかに「よいものを安く」買えるのであれば、それは消費者にとってはよいことに違いありません。でも我々生活者は、消費者としての一面もありますが、生産者、サービス提供者としての一面も持っています。
中世の貴族ではありませんから、遊んで暮らせる人などいません。誰もが働いて稼がないと、食べていくことができないのです。
いまや働く人の9割は給与所得者ですから、会社や役所に勤めて給料をもらっています。消費者の立場からすると、よいものを安く売ってもらえればうれしいので、その会社およびその製品には人気が集まります。
でもそれを実現するためには製造コストを下げなければなりません。その最も大きなしわ寄せが、働く人の給料に来ているのです。
したがって、「よいものを安く」「コスパのよいサービス」を求めれば求めるほど、それは「消費者としての自分」が「生産者・サービス提供者としての自分」の首を絞めることになってしまっているのです。
値上げしないことが美談になる困った風潮
特に昨今では、少し物価が上がるようになってきました。私は、これはとてもよいことだと思っています。
ところが、テレビのニュースなどを見ていると、「値上げせずに頑張っているお店」が紹介され、しかもそれが美談として取り上げられているケースをよく見かけます。
でも私は、こうした報道には強い違和感を覚えます。
考えてみてください、仮に2人の経営者がいるとします。彼らが自社の従業員に対してこんなことを言ったとしたら、どう思いますか。
・経営者A:材料費は値上がりしているけれど、当社は製品の値上げはしないことにした。だからみなさんの給料も上げることはできないけれど、我慢してほしい。
・経営者B:当社は製品を値上げすることにした。当然みなさんの給料も上げます。でも製品を値上げする以上は、今まで以上に品質と性能を向上させないといけません。だから一緒に頑張りましょう。
これ、誰が考えても「経営者B」の姿勢が正しいと思うのは当然ではないでしょうか。
結局、商品やサービスを購入する消費者も、それを提供する経営者も、「値上げをせず、コスパのよいものを求める」ということは、それを作ったり提供したりして第一線で働いている人の労働や付加価値を、低く見積もっているということなのです。
つまり働いている人に対するリスペクトの欠如ではないかと思うのです。