働きアリの末路は?
イソップ寓話にアリとキリギリスの話が出てくるのはご存じでしょう。夏に一生懸命働いて食べ物を蓄えた働き者のアリに対して、遊んでばかりいたキリギリス。やがて冬がやってきて食べるものがなくなったキリギリスは、アリに食べ物を乞いにいきます。
働いているアリを散々ばかにしていたキリギリスですが、食べ物をアリに分けてもらったことを感謝し、それからは心を入れ替えて働く、というお話です。
じつは、最後にアリが食べ物をキリギリスに与えてあげたというのは、教訓を作るためにあとから改変されたもので、元のストーリーではキリギリスは食べ物をもらえず、飢え死にしてしまうという内容なのだそうです。
でも多くの日本人はこの寓話について、「やはり人間は勤勉に働くべきだ」と解釈していると思います。
最近、アメリカで出版されてベストセラーになった、ビル・パーキンスという人が書いた『DIE WITH ZERO』(ダイヤモンド社)という本があります。その本のまえがきに、このアリとキリギリスの寓話が出てきます。
その部分を引用すると、「この寓話の教訓は、人生には、働くべきときと遊ぶべきときがある、というものだ。もっともな話だ。だが、ここで疑問は生じないだろうか? アリはいつ遊ぶことができるのだろう? それが、この本のテーマだ」
さらに著者の言葉は続きます。「私たちは、キリギリスの末路を知っている。そう、飢え死にだ。しかし、アリはどうなったのか? 短い人生を奴隷のように働いて過ごし、そのまま死んでいくのだろうか? いつ、楽しいときを過ごすのか?」
私はこの本に深い共感を覚えました。そして私なりに「アリの末路は?」と考えてみました。
「アリは助けを求めて来たキリギリスを冷たく突き放しました。『そんなものは自己責任だ』とつぶやき、世間から“冷たい奴だ”と言われようが気にしませんでした。そしてお金(食べ物)に囲まれ、友もないまま、1人寂しく死んでいきました」
たぶん、これがアリの末路なのではないかという気がします。