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イギリスの教育に関心を持つ富裕層が現地訪問する際、筆者の事務所が信頼して案内役を頼んでいるA氏。A氏自身、日本で小学3年を終えた1983年3月に英国に移住し、その後、大学まで英国で教育を受けた経験があります。
今回は、自身も英国で教育を受け、英国の教育事情に明るいA氏に、日本人が海外で教育を受ける場合のメリットや注意点などを聞きました。
NY生まれの小学生、英語を忘れたまま3年生から英国へ
OWL:いつから英国に暮らし、その後はどのように過ごされたか教えてください。
A氏:私が英国に住みはじめたのは1983年3月からです。そのまま大学まで英国で教育を受け、ロンドンで就職しました。
OWL:Aさんが英国に来たときの英語力は?
A氏:じつは私、米国のニューヨーク生まれで、4歳のとき日本に戻ってきました。ニューヨークに住んでいた頃は英語を普通に話していたようなのですが、日本の幼稚園・小学校に通っている間に、ほとんど英語を話せなくなっていました。英国に行くことが決まったあと、日本にいた最後の半年くらい、英語の家庭教師を付けてもらって学び直しました。
OWL:英国では、どんな学校に通っていたのですか?
A氏:4月に英国へ来てから、9月までは日本人学校に通っていました。親はその後、英国の新年度から、North London Collegiate School(ノース・ロンドン・カレッジ・スクール)という、英国の国際バカロレア認定校としてトップレベルといわれる、小学校から高校まで一貫の私立女子校に入れようとしたのですが、私の英語力が高くないということで入学できませんでした。
OWL:なるほど。そこからの進学先は?
A氏:進学先は地元の公立校、Aylward Primary School(エールワード・プライマリースクール)です。当時住んでいたのは、ロンドン北部、地下鉄Jubilee Lineの終点、スタンモア駅(Stanmore station)の近くで、日本人の少ないエリアでしたが、その地域の公立小学校です。
OWL:生徒数はどれぐらいでしたか?
A氏:1クラスあたり20人から30人だったので、東京の学校と比べたら少人数ではないでしょうか。生徒の約75%が白人の英国人、25%が黒人やインド系だったと思うのですが、あまりよく覚えていません。たまたま同級生に日本人がひとりだけいて、私のお世話係をしてくれたのを覚えています。
OWL:小学校での勉強はいかがでしたか?
A氏:その当時は英語の話せない生徒のサポート体制が整っておらず、授業についていくことが難しく、周囲のイギリス人と同じレベルには届きませんでした。日本では掛け算を覚えられず、算数が苦手科目だったのですが、英国の小学校では私が入るときから掛け算の始まるところで、算数が得意科目になったのはよかったです。
転校先はいじめが横行、荒廃しすぎて廃校に…
OWL:中学校も地元の公立校でしたか?
A氏:はい。住んでいた地区に割り振られた公立のBentley Wood High School(ベントレーウッド・ハイスクール)に行きました。ただ、13歳のとき、海外から来た生徒の受け入れ態勢が整っているといわれていた全寮制私立女子校のOakdene School(オークディーン・スクール)に転校しました。
OWL:転校先はいかがでしたか?
A氏:それが入ってみたら、生徒同士のいじめや生徒による先生へのいじめなどが横行する荒れた学校で、ショックを受けましたね。11年生終了時(15~16歳)に英国全土共通で受けるGCSEというテストを終え、The Royal Masonic School for Girlsという私立の全寮制女子高校に転校しましたが、私の出た1年後には廃校になりましたから、本当に酷い学校だったんだと思います。
家族なのに、顔を合わせるのは「年に数日」!?
OWL:日本人目線では高校で全寮制というのは稀だと思うのですが、英国では普通なのですか? たしかに、有名なパブリックスクールは全寮制だなどと聞くことはありますが…。
A氏:寮費がかかるので、労働者階級では多くないでしょうけれども、上流階級やホワイトカラーの上の方のクラスの家庭では、子どもを寮に入れる家庭は多いと思います。私の兄は中学校から、弟は小学校から全寮制でした。そのため、家族なのに顔を合わせるのは年に数日みたいな感じでしたね。