本当にこれでよかったのか…?
「今回が最後の面談かと思い、お渡ししたいものを持って参りました」
弁護士会館での3度目の面談冒頭、冴羽はそう言うと、A4サイズのぶ厚い封筒を海原に渡した。海原は怪訝そうな顔つきで書類を取り出す。
「これは、本件で訴訟を行う場合の、訴状・証拠説明書・証拠一式の草案です。当方の計算では、秀一さんが相続された不動産を路線価*1で評価したとしても、遺留分侵害額は2億5000万円に上ります。もちろんこれは、前回議論した特別受益についても考慮に入れたうえでの金額です。
ご存知のとおり路線価評価は時価評価の8割程度になりますから、不動産を時価*2で評価すれば、証拠として添付予定の査定書のとおり、遺留分侵害額は3億円以上になる見込みです。
当方としては、いくら話し合いでの解決とはいえ、路線価で計算した場合の遺留分侵害額である2億5000万円を下回るようでは、もはや訴訟に踏み切らざるを得ません。お渡しした書類のとおり、こちらはいつでも訴訟に踏み切れる状態になっています。
本日から2か月以内に、遺留分として2億5000万円を支払うか、訴訟で争うかのどちらかを選択して下さい。訴訟になった場合には、不動産については時価評価となりますので、少なく見積もっても3億円と遅延利息をお支払いいただくこととなります」
──本当にこれで良かったのか?
帰り道、疲れた様子で面談室を立ち去った海原の渋い顔を思い浮かべながら、純二の心はなぜか乱れていた。もしこれで兄が交渉に応じたら、自分には大金が入ってくる。そうすれば、またこれまでどおり遊び友だちに囲まれ、自由気ままに好きなことだけして生きていける。
でも、それが本当にかっこいい生き方なのか。純二はこの頃、よく分からなくなってきているのだ。
*1:国税庁が発表している相続税評価額。道路ごとに、そこに面している土地1㎡当たりの相続税評価額がいくらであるかが定められており、国税庁のホームページで誰でも見ることができる。市場価格の8割程度といわれているが、定まった数値で便利なため、遺産分割や遺留分侵害額請求といった相続紛争では不動産を簡便に評価する方法として使用されることも少なくない。
*2:市場価格のこと。不動産業者の不動産査定によってごく大まかな金額が分かり、不動産鑑定士の不動産鑑定によってある程度正確な金額が確認できる。