秀一(兄) 12歳
「本当に、お宅の秀一くんは優秀よね。うちの子とは頭の出来が違うみたい」
同じクラスの中村くんのお母さんが、母・貴子と立ち話をしながらこちらを見て言っている。すかさず亀山秀一は、はにかみながらも素直に子供らしい嬉しさをにじませるという、絶妙な表情を作ってみせる。試行錯誤の末にあみだした、この手の褒め言葉に対する誰にも反感を買われない反応だ。
中村くんのお母さんと別れ、秀一は母と並んでゆっくりと夕方の街を歩き出す。
「秀ちゃんはなんでもよくできるから、お母さん鼻が高いわ。この子が生まれたら、きっと自慢のお兄ちゃんになるわね」そう言って母は、ふくらんだ腹を満足そうになでさすった。
――頭の出来が違うんじゃない。僕は人の何倍も努力しているんだ
秀一は、小さな体で大きなプレッシャーを背負っていた。
父・達郎は東京都立川市周辺で代々続く大地主で、秀一は幼少期から何不自由なく暮らしてきた。クラスメイトの中で規格外に大きい家に住み、常にブランドの子供服を着て。
しかし、秀一はそれを少しも鼻にかけていなかった。それでも小学校に入ると、「お前んちは金持ちだからいいよな」とか「金持ちだから特別扱いされてズルい」といったやっかみ混じりの心ない言葉を浴びせられるようになった。
そこで秀一は、人一倍努力をしてなんでも実力でつかみとること、そして人前では決して優等生ぶらずその年齢にふさわしい振る舞いをすることを、幼い心に誓ったのである。
そのような少年時代を過ごしてきた秀一にとって、年の離れた弟の誕生はまた1つ、新たなプレッシャーの種となった。
それは、弟が生まれたらもっとしっかりしなければいけない、母が望むような“自慢のお兄ちゃん”にならなければいけないという、兄としての責任感であった。
それから18年後… 純二(弟) 18歳
「なぜ大学受験をしないんだ。なにも秀一のように一流大学へ行けなんて言ってないんだぞ。高望みしなければどこへだって入れるだろう」
しかめっ面の父・達郎とその隣で弱々しくうつむく母・貴子との家族会議は、今月だけでもう5回目だ。
亀山純二は時計を気にしながら、言い飽きた言葉をくり返す。
「だからぁ、行きたくないっつってんの。勉強したいことなんてないし、卒業したってどうせサラリーマンになるだけなんて、そんなの夢がないじゃん。俺はさ、型にはまった人生っていうの? そういうのが性に合わないのよ。兄貴と違って頭悪いしさぁ、悪いけど期待しないでよ」
そう言い終えると、口を開きかけた父を無視してそそくさと席を立った。これから地元の友だちと昨年結成したバンド、『サウンズ・ライク・ヴァイオレット』のスタジオ練習があるのだ。背中から父と母どちらともつかないため息が聞こえてくる。
なぜ両親が大学進学にこだわるのか、純二には分からない。兄のような生き方を期待されても迷惑なだけだ。