12歳年上の兄・秀一は、純二が物心ついた頃から名門進学校に通いスポーツも万能、反抗期らしい反抗期もなく、現役で早稲田大学に合格し、ご丁寧に在学中に行政書士の資格まで取り、順当に超一流企業に就職した。社内結婚した奥さんも有名女子大出身のお嬢様らしい。
それに引き換え純二は、小さい頃から何をやってもパッとしなかった。特に勉強がからっきしダメで、集中力がまるで続かなかった。それでも両親が小学校低学年から塾通いをさせ、中学はそこそこの進学校に入学できたものの、だんだん授業についていけなくなった。
純二自身にもついていこうという気持ちは全くなく、エスカレーターで高校に進学したあたりからいよいよ落ちこぼれた。大学進学を目指し勉強するクラスメイトと話が合わなくなり、地元のやんちゃ仲間とメジャーデビューをかかげてバンドを結成したのも、まさにこの頃である。
純二にしてみれば、兄のようなガリ勉の秀才君は感情のないロボットのようで気味が悪い。一度きりの人生、勉強なんていう地味でつまらないことを無理に頑張らなくたって、好きなことを思いきりやっているほうがよっぽどかっこいいと、純二は心から思っていた。
好きなことを思いきりできるのは親の援助あってこそと、気づきもしないで。
それからさらに12年… 突然の別れ
父が急死した。秀一42歳、純二30歳の7月のことであった。前日まで元気だったそうだが朝方急に倒れ、救急搬送されたものの帰らぬ人となったのである。
親はいつまでも当たり前に存在するものと信じて疑わなかった純二にとって、父の死は全然実感のわかない出来事であった。
葬式の手配などの煩雑なことは、憔悴しきった母に代わって兄が完璧にこなしていたから、純二はぼんやりと昔の家族写真などを眺めていた。
すべてが終わり、また日常が戻ったのも束の間、純二はある問題に直面した。金がないのである。
これまで純二の銀行口座には、父から毎月50万円の仕送りがあった。無職である純二の生活費とマンションの家賃は、そこから支払われていた。さらに結成13年目を迎えた『サウンズ・ライク・ヴァイオレット』の活動費用もすべて、父にその都度都合してもらっていた。
その父が急死して振り込みが途絶え、たちまち諸々の支払いができなくなったというわけだ。
──待てよ、親父の遺産があるじゃないか
純二は興味もないのでよく把握していなかったのだが、父は豪邸と評判の実家のほかにも、確か賃貸マンションや貸駐車場などの不動産をいくつも持っていたはずである。この思いつきは、純二をしばし楽観的にさせた。