これは一体何なのか、サインしたら何が起こるのか……、尋ねたいことは山ほどありましたが、酔っ払った夫はいつも以上に扱いが面倒。それを全員わかっていたため、何も言わずにサインをするだけして、今まで通りに生活を続けていました。
すると数日経った頃、夫がいきなり「合意書違反だ!」と怒鳴り始めたのです。
夫いわく、「円満に、とサインしたのに円満になっていない」「父のおかげと感謝することも合意したのに、感謝が感じられない」とのこと。おそらく家族の夫に対する態度がサイン後も変わらなかったことに対して、なぜだ! と言いたかったのでしょう。とはいえ、円満も感謝も、具体的にどうしたらいいのかわからないし、いつも不機嫌で長年円満にしようとしてこなかったのは夫自身です。
しかし、夫による合意書強要はこれで終わらず、さらなる合意書が突きつけられます。「家族の誕生日にはパーティーを開く」「年に一度、家族旅行を開催し、積極的に参加するものとする」「常に父を尊敬する」そして、ついには「夫婦として月3回の性交渉を確約する」とまで……。家族の関係性を取り戻すための根本的な努力はせず、一筆をとることだけに力を注ぎ込む姿が滑稽を通り越して怖くなってきたJ美さんは、離別の道を探るべく、私の元に法律相談にやってきました。
調停の場に持ち込まれたのは、例の合意書
J美さんは、証拠を揃え、子どもとともに家を出て、離婚調停を申し立てました。モラハラ夫がどのような反論をしてくるかと思いきや……。夫は円満調停を申し立ててきたのです。円満調停とは、夫婦仲を修復するために、不仲の原因がどこにあるのかを探り、どうすれば原因を排除できるか、調停委員を交えて夫婦間で話し合う手続きです。
やってきた夫の手には、例の合意書が。「円満に暮らすことを誓うとサインしたのだから、離婚はするべきではない」「妻に約束を守るように説得してほしい」と主張しました。が、円満調停は司法が夫婦の仲を取り持つ場ではなく、互いに関係を良くしたいと望んで初めて成り立つ場です。J美さんがそれを望むはずはなく、改めて離婚調停を進めることに。
自分の思う通りにことが運ばないことを理解した夫は一転して、財産分与でごね始めました。そうなるとモラハラ夫特有の調子で、調停では話がつきません。裁判も視野に入れた時、私とJ美さんは別居を続ける方針にシフトしたのです。
今、離婚裁判を起こすと、子どもたちの進学時期と重なり、J美さんも子どもたちにも負担がかかります。夫の感情も、時間をおけば少しは収まるのではないかという見立てもありました。一方、3〜5年ほど別居を続けると、それが「関係性が破綻している」ことの実績となるため、時間をおいて裁判をしたほうが、戦いやすいと判断しました。
紙切れ1枚で人の心を支配できると思うのは、人とのコミュニケーションが苦手な証拠です。夫婦円満を望むなら、気持ちを正直に打ち明けて、仲良くなるように互いに努力するしかありません。
不仲を相手のせいと思い込み、妻に「円満にします」とサインさせれば、文言通りに円満な家庭が手に入ると勘違いしている……。相手にも心があるのに、従わせることしか頭にないというのがモラハラ夫の典型的な考え方ですが、それを形にして表すのが、この「何でも書面作成夫」なのです。
大事なことなのでくり返します。人の心を縛る約束などこの世に存在しません。