(※写真はイメージです/PIXTA)

村山和世氏の著書『わが子を不登校・引きこもりにしないための十ヵ条』より一部を抜粋・再編集し、「知育」についてみていきます。

「自由に遊ぶ時間が少なかった」結果

勉強ができなくて困って来塾して来たという話だが、その子は私立小に通っているのだ。言いかえれば、名の通った私立小の入試に合格した子なのである。

 

見た感じも、年齢相応の知力は身についているように見える。落ちついて椅子に坐り、私を見ると少し微笑んだりして挙動に問題はない。よく躾けられており、あいさつもできるのだ。

 

両親の話では、(幼稚園の後の時間は)私立小入試のための××アカデミーというようなところに、毎日のように通っていたという話である。体験学習をしてみると算数の計算などは、きちんとできてはいたが文章題が弱い。

 

又、ある問題ができるようになっても、少しパターンや表現を変えた問題になると行きづまるのである。要するに、「考える力」が弱いのだ。

 

なぜ、そのようになってしまったかを考察すると、この子は「教えられたとおりに表現する事」ばかりを、幼い時から長期間、長時間、訓練され続けてしまっていたからである。

 

だから、この子の行動は中からほとばしる知的関心や「これをやりたい」「あれをやりたい」という“やりたい衝動”から生れるものが少ないのだ。そのために考える力に欠陥が生じてしまったのである。「知育は悪いこと」ではないのだが、目ざめている時の多くの時間を知育のみに費やしすぎてしまい「自分で自由に遊ぶ時間」が少なすぎたのである。

遊んでいないと考える力は育たない

なぜ、知育ばかりに時間をかけて自由に遊んでいないと、考える力が育たないかというと、この子の行っていた××アカデミーのようなところで行う知育は母親が子供とイロハ積み木をやるような知育とは違うからである。ある事柄が解決できるように道筋をつけてあり、その道筋通りにやれるように訓練するパターンが多いのである。

 

その訓練を楽しんで積極的にやりたがる子もいるが、自分で新しい知識を取り込もうとする衝動が減ってしまうため、学習取得に弊害が出てくる子も少なくないのである。

 

記憶力、処理能力などは、生れつきの違いもあり、そのような部分もからみ合うし家庭での生活の仕方も関係するから単純には言い切れない。学習取得能力の欠如が小学校低学年で出てくるか、中・高学年で出てくるかは個人差があり、目立つようには出てこない事もある。

 

 

村山 和世

 

1945年12月東京生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科西洋哲学専修を卒業。

1984年に東京都府中市に個別指導塾を開設。開設当初より、多くの不登校や引きこもり、学力不振などの問題の相談を受け、数十年にわたり、その原因の分析、究明を続けて今に至る。

本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『わが子を不登校・引きこもりにしないための十ヵ条』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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