表現することが不得意な人ほど、可能性がある
まったく自分を出すことができなかった少年期
ありがたいことにTikTokをはじめたことで、わたしのことを知っていただける方々が増えました。
よく、「秋山さんは『リア充』だったのでは?」と誤解されることも多いのですが、じつはまったく違います。小学生から中学生の、まさに思春期の頃、わたしはまったく自分を出すことができませんでした。
女子に告白をしたこともありません。まわりから「あいつはこんなものだ」と見られるのがイヤだったのです。「告白してフラれたら、馬鹿にされる」と、人の評価を気にしていました。負けて弱く見られるのがイヤで、友人とケンカをすることもありませんでした。他人から見下されることを、とても恐れていたのです。
一方で、「もっと自分には可能性があるのではないか」という思いも抱えながら、過ごしていました。
ダンスが上手だったりヤンチャだったりする人たちが女子にモテているのを見て、「どうしてこの人は魅力的なのかな?」「どうして人と仲良くなれるのかな?」といったことを、いろいろと考えていた記憶があります。
ボクシングを習ったのは、強くありたいと思ったからです。
結婚後、妻や親に支えられる日々
そして、理想的な女の子(いまの妻です)とお付き合いすることになったのですが、17歳のときに子どもができたことをきっかけに、高校を中退して結婚しました。
家族を養うためにハローワークで仕事を探し、職人の仕事に就きました。その頃は、1日中誰とも話をしない日もありました。大人の環境のなかで、自分が何を話していいかわからなかったのです。
自分に自信が持てず、仕事が終わった頃には疲れ果てていました。そんな自分がとてもイヤになり、中途半端に習っていたボクシングにも真剣に取り組んで、自分を確立しようと必死でした。ボクシングに取り組むことで、仕事場で表現できないストレスを発散し、バランスをとっていたのだと思います。
17歳から23歳の頃は、仕事から帰ってすぐにジムへ行き、22時くらいまで練習をしていました。
いま思えば、ボクシングで充実感を覚えられる時間があったから、まわりの友人が学生生活を謳歌しているのを横目で見ながらも、自分なりの生き方ができていたのかもしれません。
妻や親がとても応援してくれていたから、実現できたことでもあります。親は孫を本当にかわいがってくれて、わたしたち夫婦の時間もつくってくれました。これは本当にありがたいことでした。