失語症のオットとの二人暮らしが始まった
脳出血で救急搬送されてから約5ヵ月後、退院して家に戻った。後遺症で体に麻痺があると自宅の改修が必要になることもあるが、オットは麻痺がほとんど残らず、何もしないですんだ。家族としては、ありがたかった。
言葉も「宇宙語」が出なくなり、日本語っぽい単語が増えたので、何を言おうとしているか推測しやすくなった。これももちろん、ありがたかった。この頃の「標準失語症検査(SLTA)」の結果は、「聴く力」が短文で100%、「話す力」は単語で25%、「読む力」は短文で100%、「書く力」は単語で0%。最初に検査したときと比べると「書く力」以外は伸びている。
聴くのも読むのも「短文」で100%正解なんて、もう十分よくなったみたいだけれど、この検査での「短文」は4〜5語文のこと。「私は朝ごはんに目玉焼きを食べました」くらいの短い文だ。「私は朝ごはんに目玉焼きを食べて、コーヒーを飲んでから歯を磨きました」くらい長いと、長文になる。オットはまだ、すんなりとは理解できない。
だから当時は、普通のペースで話しかけると、「は? わからん」という顔をされることが多かった。
日本語が苦手な外国人のよう
失語症になると「言葉」を理解するのに、時間がかかることが多い。
オットの場合は、たとえば「目玉焼き」という言葉を聴いて、それが「め・だ・ま・や・き」という5つの音だと正確に把握するまでが大変だ。「め・ま・だ・や・き」と聞き間違えることもある。
次に頭の中で「め・だ・ま・や・き」って何だっけ? という検索が始まり、「食べ物」の仲間のようだぞ→「卵」に関係があるのでは、と探していって、「フライパンで焼いた、白の中に黄色い丸がある、あれ」と結びつくまでに、また数秒かかる。ここでうっかり間違って「だしが入って巻いてある、黄色いあれ」と結びついてしまうこともある。
こうして単語を一つずつ「ああ、あれのことか」と理解していくため、普通の人よりも「わかる」のが遅くなる。「目玉焼き」がようやく解決したところで「コーヒー」と言われると、処理が追いつかなくなって混乱するのだ。
同じような理由で、早口の人も苦手になった。まずスピードが速いと「め・だ・ま・や・き」の5音であることが聴きとりにくいし、一度に入ってくる言葉の量が多すぎて、やはり処理が追いつかない。
あ、この一連の流れは、このときから2年後、言語聴覚士になるための専門学校で学んだ知識です。失語症家族(初心者)だった当時は「苦手な外国語を聴くときみたいな感じかな」と、なんとなーく思ってました。
苦手な外国語、たとえば私だったら、英語の初心者クラスで“I ate a fried egg for breakfast”とゆっくり言ってもらえたら、なんとか理解できる(それでもfried eggって何だ? で時間がかかる)けど、ニューヨークの街角で“I ate a fried egg for breakfast,drank coffee and then brushed my teeth”なんて早口で言われたら、え? フライ? コーヒー? ブラシ? ティー? 珈琲なの、紅茶なのどっちなの? と大混乱するみたいな感じだ。
だから5ヵ月ぶりのオットとの二人暮らしは、できるだけ短い文でゆっくり話すことから始まった。
日本語が苦手な外国人に伝えるように。ちゃんと理解できたか、確認しながら。