(画像はイメージです/PIXTA)

予期せぬ別れに直面したとき、人は何を思い、どう乗り越えるのか。書籍『もう会えないとわかっていたなら』(扶桑社)では、遺品整理会社、行政書士、相続診断士、税理士など、現場の第一線で活躍する専門家たちから、実際に大切な家族を失った人の印象深いエピソードを集め、「円満な相続」を迎えるために何ができるのかについて紹介されています。本連載では、その中から特に印象的な話を一部抜粋してご紹介します。

 

お母さんは、一度、遺品整理を試みていたのです。ところが、この手紙の束を見つけてしまい、そこから自分を責め、遺品整理ができなくなってしまったのです。お母さんは、娘や孫たちのためにお金を使わないようにしようと言っていたこともあり、愛さんたちにも言い出せなかったのだそうです。

 

そこまで知った上で、僕は愛さんのお母さんに会いました。

 

「遺品整理は、悲しい思いをして立ち止まっている人が一歩を踏み出すきっかけになることもあるんですよ」

 

最初に、そんなことを伝えました。そして、こんな話をしたのです。

 

「娘さんとの同居が決まっているそうですが、そんな気持ちでご主人の遺品にも手を付けないまま、この家を離れることができるんですか? そんなことはお父さんも望んでいないのではないですか? お父さんのためにもお片付けをしませんか?」

 

お母さんは、「主人のためなら、片付けたい」と言って、遺品整理を承諾してくれました。

遺品整理で見つけることのできた手紙

数日後、遺品整理を終えた家に愛さんとお母さんが帰ってきました。遺品整理の作業をする間、お母さんには愛さんの家に泊まってもらっていたのです。きれいになった家の中を見て、お母さんはとても喜んでくれました。

 

そこで僕は、遺品整理で見つけることのできた写真や手紙をお母さんに渡したのです。そこには、お母さんも知らない、お父さんがお母さんに宛てて書いた手紙がありました。お母さんに代わって、愛さんが手紙を読んでくれます。

 

「美佐子へ」手紙はお母さんの名前で始まっていました。

 

「孫たちもすっかり大きくなって、お互いおじいちゃんおばあちゃんが板についてきたな。お前のおかげで、娘たちも仲がよく、本当に幸せな自慢の家族だと思っている。

 

お前は無駄遣いをせず、老後は慎ましく暮らしていきたいと言っていた。その考え方に賛成したから、ゴルフも旅行もやめた。最初は少し戸惑ったけど、おかげで老後の心配もなくなったし、子どもたちに迷惑をかけずに暮らしていけそうだ。

 

お互い、健康に気をつければ、まだまだ一緒に、仲良く暮らしていけるだろう。でも、たまにでいいから二人で旅行にも行ってみたいな。これからも、よろしく頼みます」

 

途中から、愛さんが泣きながら読んだ手紙は、日付とお父さんの名前で締めくくられていました。それを聞いて、お母さんがさらに強く声を詰まらせました。

 

「この日付、母の誕生日なんです」

 

それは、お父さんからお母さんへの誕生日祝いとして書かれた感謝の手紙だったのです。お父さんが無理に我慢をしていたわけではないことがわかり、お母さんは本当に救われたのだと思います。

 

そのときから、お母さんに笑顔が見られるようになりました。今回の遺品整理は、愛さんとの同居を始めるためのものだったのですが、お母さんは、「あと三年、この家でお父さんと住まわせてくれない?」と言って、笑いました。

 

「お母さん、三年ぶりに笑ったよね」

 

それから三年後、愛さんとお母さんが同居を始めたという連絡が届きました。

 

株式会社サステナブルスタイル

後藤 光

 

本連載は、2022年8月10日発売の書籍『もう会えないとわかっていたなら』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございます。あらかじめご了承ください。

もう会えないとわかっていたなら

もう会えないとわかっていたなら

家族の笑顔を支える会

扶桑社

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