頑張る若者たちに希望を与える社会
■チャンスは経済成長が増やす
いつの世にも経済的弱者は出ます。しかしその人たちにも豊かになるチャンスを与え、発展していく環境を整備するのが国家であり、政治です。
国家とは何でしょう。西洋流の説明をすれば「共同体」です。幻想であろうが、フィクションであろうが、国家は共同体なのです。日本古来の文化的な背景を持った言葉で適切なものがあるかはわかりませんが、やはり「くに」ということではないかと思います。それは仲間意識でもあるし、家族主義でもある。「くにを同じくする仲間だから、支えないといけない」という精神意識です。
そして、それを人々のなかに醸成するのは、どれだけ時代が変わっても、家庭と学校を含めた教育でしょう。教育が不充分でその精神意識が薄れていくと、「いまだけ、カネだけ、自分だけ」の精神が幅をきかせて、共同体としては崩壊していきます。先に例として触れた村上世彰氏はある意味で不充分な教育の落とし子のような人かもしれません。
先述のように、資本主義の論理からすればカネ儲けに励むのは当然の話です。皆どんどんカネ儲けしたほうがいいのですが、「する」ということと「できる」ということは違います。必要なことは皆がカネ儲けできる環境を整えることです。
皆がカネ儲けできるようにするためにはどうすればいいかというと、そこに「経済の成長」という問題が生じてきます。これも何度も言ってきましたが、経済が成長しないと、パイが大きくならないから、若い人を含めた新興勢力にチャンスが生まれません。チャンスの範囲が非常に狭くなる。
加えて、経済が成長しないと先行き不安から、既得権益に与っている人たちが絶対にそれを手離しません。そうなると、これから借金や投資などのリスクを冒して新しい事業を展開していこうという世代にとってみれば、お先真っ暗です。
例えば東京大学でも天才的な頭脳の持ち主だと評判の学生がIT企業を立ち上げると、銀行もすぐに「お金を貸しましょう」となるかもしれません。こういう限られた才人たちは、どんな時代でも周囲のサポートが得られ、新規事業の立ち上げができるでしょう。
しかし、それでは例外的な成功例ということになります。一般的な意味で、誰にでもチャンスはあると思わせないといけません。そういう社会はやはり経済が成長しないとできない話ですし、それを実現するのが政治の仕事です。
だから「ゼロ成長でもいい、成長しなくていいんだ、このままでいいんだ」と言うことは、誰にもチャンスがなくてもいいというのと同じ意味なのです。
私は経済成長を軽視した国家、つまり日本はものすごく不公平だと思います。税金を払わずに節税ばかりやって、毎日うまいものばかり食べている既存のカネ持ちがいかにぬくぬくと生活しているか、私は仕事柄よく目の当たりにします。
一方で「若いのだからちょっと失敗したくらいで何を言っているんだい。がんばれよ」という風潮は永遠に来ないのではないかと思ってしまいます。チャンスが与えられず、結婚もできずにフリーターで一生過ごす。そんな若者が増えていく。政治がデフレ政策を継続し、経済のパイ縮小を放置するのは、国家と国民に対する重大な裏切りであり、見えざる犯罪ではないでしょうか。
節税に励み株で儲けて、ゆとりある暮らしをしている既得権益者たちを責めているわけではありません。この人たちが税を払わないようにしている政治が悪いのです。
金融資産はないが、いまから頑張ろうとしている若者たちに希望を与える社会にしなければなりません。改めるべきは政治です。
田村 秀男
産経新聞特別記者、編集委員兼論説委員