少子高齢化社会において幸福の条件となる「絆」
「昭和20年9月21日夜。ぼくは死んだ」
映画は14歳の主人公、清太の独白から始まります。三ノ宮駅構内で衰弱死した清太の所持品は錆びたドロップ缶ひとつ。その中にはわずか4歳で衰弱死した妹、節子の小さな遺骨が入っていました。映画のキャッチコピーは「4歳と14歳で、生きようと思った。」それが叶わなかった悲劇です。
時代は太平洋戦争末期、現在の神戸市東灘区に住んでいた清太と節子は神戸大空襲で母も家も失い、海軍将校であった亡き父の親戚の家に身を寄せることになります。2人を邪魔もの扱いするいじわるな叔母とそりが合わず、居心地の悪くなった清太は節子を連れて家出し、近くの貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めます。
配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は栄養失調で弱っていきます。清太は畑から野菜を盗んだり、空襲時に火事場泥棒をしたりして飢えをしのぎます。栄養失調で倒れた節子に滋養を付けさせるため、銀行から貯金を下ろして食料の調達に走る最中に日本が降伏して戦争は終わったことを知り、ショックを受けます。やっとの思いで帰った清太は卵雑炊を作って節子に食べさせようとしましたが、既に節子にはそれを嚥下する力はなく、4年の短い生涯を閉じました。
映画「火垂るの墓」の監督の高畑勲氏はこの映画について、戦争の悲惨さを伝え二度と戦争を起こさないようにする「反戦」だけをテーマとしたものではないと言っているんですね。パンフレットの中の「『火垂るの墓』と現代の子供たち」で次のように言っています(引用元『スタジオジブリ作品関連資料集Ⅱ』スタジオジブリ責任編集発行・スタジオジブリ発売・徳間書店)。
「清太のとったこのような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか。」
「清太は自分の力で妹を養い、自分も生きようと努力し、しかし当然、力及ばず死んでいく。」
「アニメーションで勇気や希望やたくましさを描くことは勿論大切であるが、まず人と人がどうつながるかについて思いをはせることのできる作品もまた必要であろう。」
この映画が公開された1988年、わたしは16歳でした。言うまでもなく、わたしたちは当時の高畑氏の言う「現代の子供たち」なのです。社会的な繫がりを煩わしく感じる性質は今となってもほとんど変わっていないと思います。
少子高齢化社会において幸福の条件となる「絆」は小さな家族ではなく、より広く社会との繫がりです。老後の孤立というと、独身で家族のいない独居老人をイメージするかもしれませんが、しがらみをいとわず積極的に社会と関わっていくことで孤立を防ぐことができます。逆に既婚者で子どもがいてもその家族ごと社会から孤立してしまっては、生きていけないのです。
千日 太郎
オフィス千日(同)代表社員
公認会計士