幸せに生きていける2つの条件
話を始めるにあたっては、まず「少子高齢化社会」というものが経済的にどういう環境なのかを定義する必要があるでしょう。わたしはこれを「年金によって老後の生活が保障されない環境」であると定義します。
また、生きるといっても悲惨な状態で長生きすることを望んでいる人はいないでしょう。本連載の最重要課題は、「幸福」へのカギを見つけることです。何が幸福かは人によってそれぞれですので、これも定義します。
生存するだけならば、国によるセーフティネットの恩恵にあずかることで可能です。自分がそうなった時点の我が国の政府がどの程度のレベルの生活を保障してくれるかはわかりませんが、少なくとも自らの意思で生きることをやめない限りは生き続けることができるのではないかと思います。しかし、こうした方法で生き続けることが幸福であると考える人は少数でしょう。
また人は自分ひとりで生きていくのではありません。家族の愛情や友人との友情があって初めて彩り豊かな人生と言えるのです。たとえお金があっても健康状態の悪化によって日常生活を送ることが困難となった場合には、家族や友人の世話になることもありますし、それができない場合は適切な福祉サービス(有料、無料にかかわらず)を利用できるように橋渡ししてくれることもあります。
そこでわたしは年金によって老後の生活が保障されない環境下における幸福について次の2つの条件で定義します。
①セーフティネットの世話になる心配のないお金があること、お金を稼ぐ能力があること。一言で言えば「お金」です。
②社会から孤立せず頼ることができる家族や友人、共同体との繋がりがあること。一言で言えば「絆」です。
この2つの条件が揃っていれば、わたしたちは少子高齢化社会を幸せに生きていけると考えます。本書で目的とする幸福は脳神経細胞に与えられる電気信号のように、発生した瞬間に消滅していく刹那的な感覚ではありません。国の年金によって老後が保障されない環境下にあっても、自らのコントロール下で老後の生活を持続的にしていくこと。それを持続できることを自らだけでなく家族や友人との絆、共同体との繫がりによって担保されていることです。